この先、もう少し服部平太夫に関する話をして行きます。
掛川市上西郷構江地区公民館前に「お愛の方=西郷の局」の生家跡という表示板が立っています。
お愛の母(おさい)は三河の西郷正勝の娘で、懸河(かけがわ)の構江に住む「戸塚五郎太夫忠春」に嫁ぎ「お愛」を生みます。
そのあと忠春が大森の戦いで戦死してしまうと、お愛の母は服部平太夫正尚と再婚し、お愛は平太夫のもとで成長して行きます。

(戸塚五郎太夫の慰霊碑)
永禄11年(1568年)18歳になったお愛は従兄である三河の西郷義勝に嫁ぎますが、3年後にこの義勝も武田との戦いで戦死してしまいます。
その後、お愛は愛児2人を連れて実家である養父平太夫の許に戻り、ここ掛川の地で生活していましたが、天正3年(1575年)平太夫とその一族は曳馬城(浜松城)に移り、家康の警護をすることになりました。

その時、家康は平太夫の屋敷にいたお愛に目を留め、天正6年(1578年)に側室として迎え入れました。
そして翌年4月には長丸(後の2代将軍秀忠)を出産、翌年には福丸(後の尾張藩主忠吉)を生みます。
お愛の方は3代将軍家光や千姫の祖母に当たる方でもあり、歴史上で重要な役割を果たしています。

お愛の方=西郷の局は天正17年5月19日、駿府城にて38歳で逝去されたと伝えられています。
来年のNHK大河ドラマは、2代将軍秀忠の正室お江与(小督)が主人公となる物語ですので、義母に当たるお愛の方との絡みが多少はあるかもしれません。
その後、家康が秀吉の命により江戸に移封されると、服部平太夫正尚とその一族は家康とともに江戸に移り、江戸城の警備に当たりました。

私たちスタッフは時折り忍者の扮装をして、掛川城を訪れた子供たちに紙の手裏剣をプレゼントしたり、パフォーマンスを見せたりしています。
せっかくですので、皆様に忍者の歴史、掛川城との関わりを知って頂き、より興味を持って接していただければ、と思って調べてみました。
2代将軍“秀忠”の母親は掛川の地で忍者の統領に育てられたと言うことは興味深い話です。

そして「忍び返し」」が装備されている天守閣は他に、高知城、熊本城などしかありません。
熊本城は小天守だけで天守閣自体にはありません。