市民記者コーナーの「“時を告げる太鼓”③」
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“時を告げる太鼓”③
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2010年10月19日 15:23
『その参・土圭(時計)について』

天保14年(1843年)当時の掛川城二の丸御殿の見取り図の中に、「御時計の間」と記された8畳ほどの部屋が存在しています。
そこにおそらく時計が置かれていたのであろうと思われます。
では、どのような時計だったのでしょうか?

昔の時計と云うと即「水時計」を想像してしまいますが、水時計は戦国時代くらいまでしか用いていなかった、ということを聞きました。
江戸時代には一般的に香盤時計、或いは和時計が使われていたようですが掛川城で用いられていた装置がどちらであったか、定かではありません。

「香盤時計」というのは単純に想像すると「蚊取り線香状」の香を、溝に目盛りがついた盤の中に入れて、その燃え尽きる長さで計測したものです。
中には、区切りの時刻ごとに香りが漂って来るように工夫されていたり、または区切りの時刻の位置に重りをぶら下げておいて、その重りが下に落ちて鐘を鳴らすなど凝った物もあったようです。


「和時計」というのは機械式の時計で、西洋時計を日本式に改良を加えたものです。
西洋時計は1551年フランシスコ・ザビエルによって、大内義隆に献上する為に持ち込まれたのが、最初だと言われています。
江戸時代初期、スペイン国王から徳川家康に謝礼の為に贈られた西洋時計は、ずっと家康に愛用されたもので、現在でも久能山東照宮に保存されています。
こちらは日本最古のゼンマイ式機械時計と言われています。

さて西洋では現在のように1日を24時間で区切って表わされる「定時法」でしたが、当時の日本は「日没~日の出」 「日の出~日没」をそれぞれ6等分して表わす「不定時法」を用いていたため、季節によって一刻の長さが異なってしまいます。
但し、春分の日と秋分の日だけは均等に2時間(2時間×12回)となるはずです!

17世紀初頭からは鎖国の時代ですので、それ以前に持ち込まれた西洋時計を、日本の計時方式に改良し「和時計」と呼んでいました。
今年の春のNHKの番組の中では、現在の貨幣価値でそれが中古で1台数十万円と言っていました。
ですから5万石程度の掛川藩では持っていなかっただろう、という説もあります。
「それくらいはあっただろう」とおっしゃっている方もいますが、果してどうなんでしょうか?

次回に続く!

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