市民記者コーナーの「“時を告げる太鼓”④」
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“時を告げる太鼓”④
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2010年10月21日 19:55
 『その四・時法制度の歴史』

前述の「不定時法」をもう少し掘り下げてみましょう。
まず時刻を表現する方法を「時法」と言います。
1日を均等に12または24で分割した制度を、「定時法」と呼んでいます。
これに対して一日を単純に昼と夜に分け、それらを等分に分割した制度が「不定時法」です。

当初は日本でも中国から伝来した定時法を用いて、1日を12で均等分割する時法を用いていたようです。
ところが室町時代からは、陽の出ている時間帯を有効に活用するために不定時法を取り入れたようです。

しかしこの不定時法は、季節によって昼/夜の長さが変化するため、「日の出~日没」/「日没~日の出」のずれによって極端な時間差が生じることになります。
例えば夏至の時期では昼時間は15時間、夜時間は9時間になってしまうので、それぞれを6等分すると一刻が2.5時間(昼)/1.5時間(夜)という不均等な時間になります。
当然冬至の頃には逆の現象が起こりますが、春分の日、秋分の日には均等に2時間ずつになる訳です。

和時計は西洋時計を改良し、「脱進機」と呼ばれる調速装置を組み合わせて、これらの時間の長さを調節していました。
この技術は“さすが日本人”と褒めざるを得ません。


ところで当時の「一昼夜」とは、いつからいつまでの事を言っていたのでしょうか?
元文5年(1740年)庚申暦の前文に幕府天文方の渋川六蔵、猪飼豊次郎の連名で次のような注記が載せられています。
「世俗で一昼夜というのは、明け六つから始まり次の明け六つ時までの間をいっている。(中略)今後もこの例に従って執り行い、改めて断ることはしない」
と云う事は、1日の始まりは日の出の時刻を基準にしていた事になります。
これだけを捉えれば、非常に分かり易い制度ですよね!

このような制度は明治5年11月9日(新暦1872年12月9日)、新政府によって太陽暦への改歴が布告されるまで続きました。

次回に続く!

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