市民記者コーナーの「茶道と掛川・その弐」
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茶道と掛川・その弐
【閲覧数】1,147
2011年08月22日 15:04
第三十代掛川藩主「太田備中守資始(すけもと)」 は江戸城本老中にまで出世しましたが、徳川斉昭(第九代水戸藩主:最後の将軍=徳川慶喜の父)と共に「天保の改革」の水野忠邦に反対し失脚する事になります。
斉昭も政治からは遠ざけられてしまいました。

(徳川斉昭)

資始、斉昭ともども国元に帰り庭園を造り名前も同じ「偕楽園」としました。
掛川の偕楽園があった場所は、南西郷の現在の「久保」地区です。

(水戸偕楽園の茶室)

「水戸偕楽園」の茶室には鹿児島産の「つつじの床柱」がありますが、掛川の偕楽園茶室にも同じ「つつじの床柱」が使われていました。
造りも「水戸の偕楽園」と似かよっていたということです。

この茶室は明治維新に日坂の川坂屋に買い取られ、保存されました。
川坂屋は武士や公家が宿泊する脇本陣クラスの格調高い旅籠でしたが、一時廃業した後も宿屋として使われていました。
その後1993年までは個人の住居として使われていました。

(日坂・川坂屋)

なお川坂屋にはボランティアガイドが駐在し土日、祝祭日のみ開館していますので、興味のある方はお伺いしてみてください。

書き込み数は1件です。
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Re: 茶道と掛川・その弐
【返信元】 茶道と掛川・その弐
2011年08月22日 17:27
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