市民記者コーナーの「【小山城訪問記】」
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【小山城訪問記】
【閲覧数】1,061
2011年08月23日 15:50
掛川城天守閣にいると、時々お客さまから「東名を走って来ると静岡~掛川の間に立派な天守閣がみえますが、なんと云うお城ですか?」と聞かれます。

自分も城に興味を持ち始めてあまり長くはないのですが、静岡県に戦国時代から江戸期にかけて天守閣があった城は4つしかないと聞かされていたので、あまり気にも掛けませんでした。
また吉田町にお城があった事は知っていましたが、「砦」みたいなものと聞いていました。
戦前に掛川のお金持ちが高天神城に天守閣を建てたと云うことも聞いていたので、「模型のような“ちゃち”な天守閣だろう」と思いこんでいたからです。

ところが余りにもお客さまの関心が高いので、今回「話のタネ」に行ってみる気になったのです。
そして・・・・・驚きました。



掛川城の天守と同じくらいの大きさで、高さは小山城の方が少し高いくらいです。
当然コンクリート製ですが少し離れてみると見栄えがいい「かっこいい城」でした。
どこの角度から見ても写真映りがいいんです。
聞くところによると「犬山城」をモデルにしているらしいです、それで納得がいきました。
昭和62年に町民の「いこいの場」として建てられたそうです。



中に入るとコンクリート製であることがモロに判ってがっかりしますが、1~2階資料室には掛川城より立派な展示物が数多く見られました。
最上階からは太平洋も一望でき、おそらく天気が良ければ富士山も見る事が出来るでしょう!



もともと天守閣などあった訳ではないので、パンフレットには「町のシンボル展望台小山城」と表示されていました。
そのような視点で見てみると、改めて“吉田町は大した物を造ったものだ!”だと感心してしまった次第です。

ちなみに小山城はその歴史から見ると高天神城と同じ運命を辿って、消えて行きました。
今川氏によって築かれ、その後は武田と徳川の攻防戦が繰り返されて行きますが「第三次高天神城の戦い」で徳川軍が勝利すると、小山城にいた武田軍は城に火を放って甲州に落ち延びて行きます。
天正9年(1581年)のことでした。



その翌年、武田勢は天目山の戦いで織田、徳川の連合軍に敗れ勝頼は自刃し、武田軍は戦国の歴史から消えて行く事になります。



(城山の麓に在る能満寺と樹齢千年以上のソテツ)
*日本三大ソテツの1つで「国指定天然記念物」、一説によると、西暦956年に安倍晴明が植えたと伝えられている。




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Re: 【小山城訪問記】
【返信元】 【小山城訪問記】
2011年08月23日 22:54
はらひろさん

ありがとうございます。

サギソウさん

さすがです「能満寺」の間違いでした。
早速訂正しました。

賛同頂きましてありがとうございます。
Re: 【小山城訪問記】
【返信元】 【小山城訪問記】
2011年08月23日 22:07
歴史の情報を楽しみに読んでいます。
城山の麓に在る龍満寺とありますが、これは「能満寺」のことですね。
昔は能満寺に行くにも狭い道路しかありませんでした。
東名吉田ICへの道路が開通し、吉田町が能満寺山公園として整備した
ので、山の上にあった小山砦に観光目的に天守閣を造りました。
城跡は今川・武田の合戦場として歴史的に価値があります。
天守閣は展望台としては見晴らしが良いところですね。
Re: 【小山城訪問記】
【返信元】 【小山城訪問記】
2011年08月23日 19:42
私は帰省の際寄りましたが、あまり興味が持てませんでした。
【小山城訪問記】を読ませていただき、たいへん勉強になりました。