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Re: 「愛の誓い」 岐阜城
【返信元】 「愛の誓い」 岐阜城
2011年09月17日 09:48
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山内一豊の弟(康豊)は一般的に良く知られていますが他に兄、姉、妹までいた事がわかりました。
そして一豊公の妻(お千代さん)は、一豊の亡くなった後「見性院」を名乗りますが、唯一この「見性院」だけは公的に確かな名前です。 <山内一豊> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%86%85%E4%…0%E8%B1%8A <見性院> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%8B%E6%80%A7%E9%…%E5%AE%A4) |
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Re: 「愛の誓い」 岐阜城
【返信元】 「愛の誓い」 岐阜城
2011年09月16日 20:01
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お千代さん
実は山内一豊の妻「千代」というのは江戸時代につけられて名前だ、とも言われています。 当時下級武士の娘として生まれた彼女は、出生地もあまり定かでありません。 江戸時代に「新井白石」が妻の鏡として造り上げた話の中に、妻の名前がないのではそれこそ「話にならない」ということでつけた名前が「千代」、ということです。 実際には「まつ」とか「おね」などの説も残っています。 黄金10枚で馬を買った話も「新井白石」による造り話しと云う説が濃厚です。 なぜなら織田信長の馬揃え=軍事パレード(1581年)で一豊が名馬を披露した事が仕官に繋がった事になっていますが、実はそれよりずっと以前に信長に仕えていました。 馬揃えの時期には既に「秀吉」家来として一緒に戦に行っていた、と云うんです。 戦国時代の出来事の殆どは江戸時代になって書きまとめられていますので、筆者の主観や希望、または偏見もあって全てが事実とは限らないようです。 要するに自分の家系は讃えるけど、敵だった家系はその逆に描かれる場合も良くあることです。 ということを諸先輩たちに伺いました。 |
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