信長を撃った男①(元祖ゴルゴ13?とは) 【閲覧数】2,171
2012年10月29日 11:49
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「掛川城戦国おもてなし隊」のパフォーマンスで、忍者が火縄銃を持ってポーズをとっているとお客様から「忍者が鉄砲なんて聞いたことない!」、「忍者はやっぱり手裏剣だよね」という声をよく耳にします。
![]() そこで「忍者が敵を煙に巻いて逃げる時に使うのは“火薬”だよ!」「忍者は古くから火薬を扱っていたので、特に鉄砲が普及するようになってからは、忍者の需要が高まって行った」 という説明をするとみなさんに納得して頂けます。 この夏掛川城で開催されたイベント「ふじのくに子ども歴史ハッケン伝」では、歴史家の磯田道史先生が「戦(いくさ)の際の忍者はスナイパー(狙撃手)として活躍していた」、と説明していました。 ![]() さて忍者と言えば伊賀と甲賀が有名ですが、実は日本各地に無数の忍者集落があり、その地方の有力者(領主)に雇われていました。 しかし忍者は陰の存在なので、いくら功績をあげてもその名前が残ることはまずありません。 猿飛佐助、霧隠才蔵など架空の忍者は数多くいますが、実在の忍者で名前が知られているのはほんの僅かです。 その中の一人が「杉谷善住坊」と呼ばれる甲賀忍者です。 今回その方の墓が甲賀の里にあるという噂を耳にしたので、訪ねてみることにしました。 ![]() まず「杉谷善住坊」氏のプロフィールをご紹介しましょう。 甲賀五十三家の一つである“杉谷与藤次”の息子「善住坊」は、当時鉄砲の名手であることが近江一帯に知れ渡っていた。 ![]() そこで近江の領主であった六角氏にスカウトされ、織田信長暗殺の指令を受けた。 そして元亀三年4月(1570年)、信長が金ヶ崎の戦いのあと岐阜城に戻る途中、善住坊は、鈴鹿山系千草山の椋木峠で信長を狙撃した。 馬上の標的であり、しかも相手が信長だったことで緊張のあまり手元が狂い、信長はかすり傷を負う程度で狙撃は失敗に終わった。 ![]() ところが信長は善住坊を2年以上に渡って徹底的に探し出し、捕えられた善住坊は天正元年9月10日(1573年)見せしめとして生きたまま首だけ出して地中に埋められ、竹製の鋸で7日間に渡ってじわじわ首を挽き切られ息絶えた。 という話が残されています。 <次回↓に続く!> http://e-jan.kakegawa-net.jp/modules/topic/topic_vi…pcd=143838 |
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Re: 信長を撃った男①(元祖ゴルゴ13?とは)
【返信元】 信長を撃った男①(元祖ゴルゴ13?とは)
2012年11月02日 09:24
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T-dutchさん
忍術書というのは、おそらく「万川集海」の事だと思います。 これは江戸時代になって、忍者のリクルートのために書かれたものだと言われています。 磯田先生は岡山の出身ですので、岡山藩お抱えのの忍者についてかなり調査しています。 赤穂藩は岡山のお隣だった関係上、大石内蔵助がもし赤穂の城にたてこもって幕府に反旗を翻すと岡山藩は巻き添えを食ってしまうので、ずっと忍者に見張らせていたそうです。 幕府からは柳沢吉保の指令を受けた「黒鍬組」という忍者集団が、ずっと大石内蔵助の身辺を伺っていたそうです。 従って大石内蔵助は表面的には「ふぬけ」を演じていたようです。 これは忠臣蔵の中にもエピソードがたくさん記されていますね! 忍者の原点としては「火薬及び火器造り」そして「薬の製造」ですが、江戸時代に入ると火薬造りは一部の人以外は禁止されますので、薬の製造が甲賀の里の仕事だったそうです。 |
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Re: 信長を撃った男①(元祖ゴルゴ13?とは)
【返信元】 信長を撃った男①(元祖ゴルゴ13?とは)
2012年10月29日 13:32
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磯田道史先生が「安住紳一郎の日曜天国(TBSラジオ)」にて忍術についてお話ししていました。
忍術書には火薬の調合方法や毒薬の作り方などが書かれているそうです。 忍者は高度な科学技術の知識を持っていたんでしょう。 しかし、スナイパーとして活躍していたとは知りませんでした。 ゴルゴ13みたいな忍者もいたのでしょうか? 次回楽しみにしています。 |
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