市民記者コーナーの「信長を撃った男④(忍道豆知識)」
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信長を撃った男④(忍道豆知識)
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2012年11月12日 17:46
今回は甲賀の里で「杉谷善住坊」の足跡を訪ねる旅でしたが、地元の皆様にお話を聞く中で「忍者たちの歴史」について数多くの知識を得ることが出来ました。

また今年6月には伊賀の里を訪ね忍者軍団「阿修羅」の皆様との交流、そして地元の方々の話を伺うに連れ、私たち一般人の認識とはかけ離れた忍者たちの姿が浮かび上がってきました。
「忍者と鉄砲」シリーズの最後に、それらの旅で得た興味深いお話をまとめてみました。

1.忍者の里は民主主義
伊賀、甲賀とも、山あいの封鎖的環境が、戦いに敗れた貴族たちの絶好の潜伏場所となっていたため小さな集落ごとに自衛組織が確立され、互いの団結力も堅固になっていった。
驚いたことに決め事は多数決で、民主主義の原理で運営されていた。



2.忍道の原点は自衛のため
そのような環境の中「落ち武者狩り」に対抗するため農業や林業の傍ら、独自の方法で身体を鍛錬していた。
即ち忍道とは自衛手段であって、他国を侵略するような目的はなかった。
被害を最小限に留める必要性から、諜報活動も盛んに行われるようになって行く。
しかし、次第にその存在が世間に知れ渡っていくと、他国の領主たちからスカウトされる者も出てくるようになった。



3.忍者たちの存亡Ⅰ
伊賀、甲賀の地域は共にずっと領主を持たない独立自治体制を維持してきたが、天下統一を目論む織田信長にとって「目の上のたんこぶ」であり、自分に従わない「もののけ集団」的な忍者は脅威でもあった。

当時、これら忍びの里は幾度か外敵からの侵入を受けたが持ち堪えてきた。
しかし信長による忍者掃討作戦、いわゆる「天正伊賀の乱」で伊賀の里は焼き払われてしまった。
この時点で甲賀衆は信長に下る道を選択したため、初めて伊賀と甲賀が敵対することになる。


(岐阜城天守閣より)

その後、生き残った伊賀忍者たちは、各地に落ち延びて行った。
各地に散らばった忍者の多くは、諸藩の大名によって召し抱えられることになる。
以降、忍者たちは自衛のためだけではなく、雇用主からの指示により得意としていた諜報活動の他に破壊工作、暗殺などの任務を受け活動せざるを得なくなっていった。



4.忍者たちの存亡Ⅱ
江戸時代になると甲賀の忍者は「足軽鉄砲隊」などに雇用され、大坂の陣でも活躍したと言われている。



江戸城の百人番所の役人に就職した例もある。


(江戸城百人番所:復元)

そして、忍者として最後の指令を受けたのは嘉永六年(1853年)、黒船来航時に館内探索を命じられた沢村甚三郎保佑だったと言われている。
しかし幕末の混乱時には、他にも忍者の存在を伺わせる事例があったという。
明治になると忍者も武士同様に解雇され、警察官に転身するもの、帰農するもの、他に火薬作りの技術を生かして花火師に転身するものもいた。


優れた暗号つくりのスキルもここで消滅してしまったので、太平洋戦争では日本の暗号が他国に簡単に見破られてしまったと嘆いていた人もいた。

5.忍者にもランクがあった
伊賀忍者は「上忍」「中忍」「下忍」の3ランクに分かれているが、甲賀は中忍クラス「甲賀五十三家」の下に下忍が就いた。
伊賀の上忍「御三家」として「服部家」「藤林家」「百地家」が知られている。

「甲賀五十三家」の中でも古くからこの地に住みついていた「甲賀二十一家」を自称する由緒ある家柄だけが、集落の中で苗字帯刀を認められ、庄屋として信頼を得ていく。
甲賀五十三家の中には、「杉谷善住坊」の生家である「杉谷与藤次」の名前が記されている。
現在「忍者屋敷」として公開されている望月家は「甲賀二十一家」の一つである。



6.甲賀は「こうか」と読むのが正解
甲賀という地名は古くは「甲可」または「甲香」と書かれており、現在でも地元では「甲賀=こうか」と発音している。

以下最終回(コチラ↓)に続く 
http://e-jan.kakegawa-net.jp/modules/topic/topic_vi…=&l=20  

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Re: 信長を撃った男④(忍道豆知識)
【返信元】 信長を撃った男④(忍道豆知識)
2012年11月15日 19:31
T-dutchさん

自分もしかり、一般の方は今まで忍者についての知識が乏しかったのですが、地元にはそれなりに伝えられていることが良くわかってきました。

忍者の話だけに興味が湧きますね。
Re: 信長を撃った男④(忍道豆知識)
【返信元】 信長を撃った男④(忍道豆知識)
2012年11月13日 10:49
忍者というと大名に召し抱えられた隠密精鋭部隊の印象でしたが、
織田信長が活躍する以前は自衛組織だったことに驚きました。

もし、信長がいなかったとしたら、忍者集団は別の形で歴史上活躍していたかもしれません。

このように詳しく説明していただくと、歴史ってとても面白いです。