市民記者コーナーの「はたして武器庫の正体とは?」
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はたして武器庫の正体とは?
【閲覧数】1,322
2013年06月25日 20:52
旧城内公会堂(掛川城の東側・城内地区)は、別名「武器庫」という物騒なニックネームで知られていました。
その「旧城内公会堂」は老朽化のため、今年の3月末で解体処分されました。
しかし、なぜ「武器庫」がこの場所に存在するのか、ずっと疑問に思っていました。


(解体前・2月~3月の状態)

この週末(6月22日,23日)、旧公会堂の解体調査に携わってきた設計衆団LNによる説明会、「二日限りの城内物語・建築×文化展」が旧公会堂跡地で開催されると聞き、この時とばかりに参加しました。

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<沿革>
1.この建物は江戸時代後期には掛川城の「下台所」があった場所(現在の大日本報徳社敷地内)に存在していた。

2.昭和38年頃に現在の場所に移動された。
(移設ではなくてまるごと動かす曳家)

3.現在地は江戸時代に掛川城の北側の内堀があった場所である。

4.城内公会堂として使われ始めたのは、現在地に移ったころからである。

5.建物の年代としては、安政の東海地震(1854年)以降であり、屋根瓦から見て太田公の時代と断定できる。

6.明治以降報徳社で使われていたと思われる増改築の痕跡も見られた。



<検証結果>
①武器庫としては壁があまりにも薄い。
②それなりの重量に耐えられる設計ではない。
③2階への階段の設計及び2階の天井の低さから、武器庫としての用途は考えにくい。
④城の中の建築物は通常「武器庫」などと呼ばない。(図面では鉄砲櫓、矢櫓などと表記される)



<結論>
今回の検証で武器庫であった可能性はかなり低い、という事が判明しました。
何らかの倉庫であった可能性はありますが、何の用途であったのかは解明できませんでした。

諸先輩たちの中には、
・新政府に移った時、一時的に鉄砲などを保管したことがあったのではないか?
・或いは太平洋戦争の時に武器を隠していたのではないか?
など様々な説を唱える方もいますが、いずれも根拠はありません。
もし、何か情報があったら教えて下さい。

<追記>
今回のセミナーの目的は通称「武器庫」が、何の用途で建設された建物かの解明ではありません。
解体された材料から時代を考証し、工法を検証することが目的でしたので出席された方の大半は建築に携わる関係者でした。
従って講義の内容の殆どは建築に関する話でした。
私は建築に関しては全くのど素人でしたが、講師のA先生の話はとてもわかり易くて楽しかったです。



現代のような電動工具がない時代の苦労が良くわかりました。



書き込み数は6件です。
[ 日付順 ] [ 投稿者順 ]
Re: はたして武器庫の正体とは?
【返信元】 はたして武器庫の正体とは?
2013年06月30日 11:33
K住さん

コメントありがとうございます。
ちょうど同じ日に、かけっコさんもセミナーに参加されていましたよ!
Re: はたして武器庫の正体とは?
【返信元】 はたして武器庫の正体とは?
2013年06月26日 20:36
くろすけさん

見事に老朽化していましたから、いつ倒れてもおかしくなかった状態でした。
もともとあの場所は内堀があったところですので、地盤は緩いかもしれないですね?

あの周辺は駐車場が少ないので、その程度だったらすぐにでも活用できそうです。
Re: はたして武器庫の正体とは?
【返信元】 はたして武器庫の正体とは?
2013年06月26日 20:30
やまさんさん

コメントありがとうございます。
ちょうど同じタイミングで参加されていたのですね!

講師のA先生の説明はわかり易かったですね!
和釘が使ってあったから移設でなく曳家であるとか、棟梁しか文字が読めなかった時代のマーキングの話も興味深かったです。

実に有意義な企画でした。
Re: はたして武器庫の正体とは?
【返信元】 はたして武器庫の正体とは?
2013年06月26日 09:00
開催された2日間は、ちょうど天気もよくて良かったですね。
旧城内公会堂は、私が越してきたときには、もうすでに使われてなく、
見るからに廃屋って感じでしたが、こうして建物がなくなると、
なんとなく、寂しい気もします。
さて、この跡地
いったいどういった活用がされるのか?
それもまた楽しみです。
Re: はたして武器庫の正体とは?
【返信元】 はたして武器庫の正体とは?
2013年06月26日 08:53
非常に興味深いレポートをありがとうございました!
Re: はたして武器庫の正体とは?
【返信元】 はたして武器庫の正体とは?
2013年06月25日 22:35
はじめまして。
私もこの建物に興味がありましたので、22日の建築講座に参加させていただきました。
格子窓の漆喰塗が東面と西面で異なっており、作られた時期が違うのではないかという解説や、柱に人の手で削った跡が残っており、その形を見ることで加工された時代がわかるという話など、解体調査ならではの話も聞けて楽しかったです。
「武器庫」と呼ばれることも多い建物ですが、その理由は明らかになっていないんですね。
新しい史料の発見などで、その謎が解ける日を楽しみにしています。