みんなで作る茶畑の中の茶室プロジェクトの「静大の授業で茶室について考えました」
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静大の授業で茶室について考えました
【閲覧数】983
2009年12月22日 22:45
静岡大学「茶の世界」という後期授業にて
「茶室を考える」という講義を茶道塾の白雲塾長にお願いしました。

学生約150名の方が、茶室の歴史と茶道の精神性を学び、
その上で、静岡に新しい茶室を考える!ということに挑戦いただきました。

グループワークでそれぞれの創造性を入れ、思い思いの茶室を考え、スケッチしていただきました。

皆さん真剣に取り組んでくださり、時間があっという間に過ぎた、と言われてましたが、

茶道に縁がなかった、むしろ敬遠していた、という方も、茶室を考えることを通じて、茶文化の歴史や精神的深まりを体感でき、

しかも、こんなに楽しいものだと知らなかったと喜んでいただいていたようです。

「解放感がある壁のない茶室はどうか」という問いに、「壁がないと本当に『解放』されるのか?本当は壁で区切られていた方が、本来の心の『解放感』が認識できることはないか?」

というように、茶室を創造することを通じて禅の問答のように自己を見つめることを皆さまがされていたように拝見しておりました。

「角をとった丸い茶室の方が心がいやされるのではないか」という方や

「顔を見ないコミュニケーションとして、茶を点てる、淹れる人の顔が見えない柱を建てることで、自分と他を同化していけないか」

というような茶を通じて精神を見つめ直すということを具体的に形にしていく「仕組み」としての茶室を考えてくださる方もありました。

それに一つ一つ、塾長と学生が問答をしていくので、「自分自身をこれを通して見つめている気がした」という方もあり、

大変深く面白い授業でした。

茶室を考えると言うのは、「自己を習う」ということでもあるように思います。身近なものとしてぜひ参加しながら愉しんでいただければと思います。

皆さまにもご報告を

書き込み数は2件です。
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Re: 静大の授業で茶室について考えました
【返信元】 静大の授業で茶室について考えました
2009年12月28日 22:54
農学部の方でしょうか、
茶室の外装を斜めにして、茶を栽培できる茶室・・

それが、中で悟りを開くと天窓が開いて、光が入るとか・・・

禅寺の修行道場の凝縮系のようで、茶を通じて心の修練をするという思いを講義で感じてくださっていたのだというのがわかり、感動です。


2畳の畳を「L」字型に配置されていた方も印象的でした。
客と亭主が角で向き合うのですが、一対一に限られ、「トイレのように個室で落ち着く」とコメントありました。

トイレって落ち着くんだ・・・(笑)
Re: 静大の授業で茶室について考えました
【返信元】 静大の授業で茶室について考えました
2009年12月25日 16:13
追記で(とにかく書ききれませんが)

にじり口に感激した生徒さんが、入り口に工夫したら精神の扉になるかと、二階から滑り台で入ってくる茶室とか、上から下へ入るという例は他にもありました。

(滑り台で正座したままの亭主が道具を持って登場するところを想像して笑ってしまいました(^^)

顔を見ないコミュニケーションについても考えてくださった方あり、点てる人と飲む人が一体化していく「のれん」付きの茶室(寿司屋のカウンターみたいなのですが、顔の下の位置までのれんがあるので、客と亭主は互いの体しか見えない中で点前と茶を通じてのコミュニケーションです。

(塾長と話されて、「完全に隠してしまうと、逆に『見たい』という意識をおこさせてしまうのであれば、ねらいと違うのでは?ということについても真剣に考えられてました)

でも、この画、客と亭主の絵も書いてあり、それがとてもかわいかったです。

あと、富士の樹海にガラス張りの世界を造ると言う人がいました。音を一切遮断して、異界ぎりぎりの空間を造るのだというのです。樹海という中で十分人里離れているのに、さらにガラスで仕切る。また、ガラスで丸見えだが、人間はしきりとして認識でき、動物はガラスはしきりとして認識できない世界、それが茶の空間というのですが、面白かったです。

富士山に関するものも多かったです。
窓を富士山型にするとか、絵をかくとか直接的なものもありましたが、

1mmだけ富士山の方向の壁だけ隙間をあける。
つまり見えないのだが、その隙間がある壁の方向には富士がある。

「そこに富士が見えるということは、外で十分茶室に入る前に見てきているので、茶室では目に見える必要がないのではないか」意識だけあれば十分、もしかしたら1mmも必要ないのかもと言うところまで塾長と話されてました。

(なんだか「北野大茶の湯」みたい・・・と、皆さんのお茶を一服ずついただいた気持ちでした。)