茶道塾塾長の以前の移動茶室から 【閲覧数】1,041
2010年01月23日 22:02
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茶道塾塾長 吉野白雲塾長の2004年世界お茶まつりにての移動茶室についてのお話をそのまま引用させていただきました。(以下)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 古は金閣寺という象徴が作られ、その後銀閣寺が造営されました。 これは太陽の光により現れる美しさを分かりやすく万人に伝えていますが、その後金に比べれば劣る銀を用いて、例えれば月の光のもとに現れる美を求めたのは、物質的な価値ではない、表面的な美から内面的な美への転換があったと思われます。 物質的な価値ではない、表面的な美から内面的な美への転換があったと思われます。茶道においては、華やかな書院台子と菅(すげ)や萱(かや)を菰(こも)のように編んで屋根を覆った粗末な小屋である苫屋(とまや)にその心が見られ、紹鴎が、 「見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ 」(花紅葉はすなわち書院台子の、贅を尽くした茶をつくづくとながめ味わい終えると、そこは無一物の境地の、浦の苫屋になる) この定家の歌をもって心情を表しましたが、現実には、秀吉と利休が黄金の茶室を作っています。 これを陰陽道で言うなら、陽が極まれば無になり、そこから陰が生じるというところでしょう。その無の状態から陰が生じる時は、爆発的な止めることの出来ない無限の力が内在しているのです。 利休も一首の歌を見出して、信条としていました。 「花をのみ待つらん人に山里の 雪間の草の春を見せばや」(花も紅葉も、ことごとく雪が埋め尽くし、何も無い山里になって、さび澄ました無一物の世界から、自然と内なるものの存在の胎動や、それが溢れ出るということを、感じさせるような現象が、本性や天性としてそこここにある) これは、陰きわまったところからの創造の力がたまっている、まさに陽気が生まれ出るところの無限の可能性を感じさせます。無一物の世界を肯定するが、苫屋のさび澄ました場所に安住をしないで、さらに新しい未来の始まりや、無限の力を実感しようとする。無に成り切ったときには、そこからは必然的、自然発生的に有が生じ胎動し始めるということでしょう。 銀の茶室は、目に見えるものにこだわるということから、人の心を探し求め次の段階へと成長していこうとすることです。 日本茶道塾 塾長 吉野白雲 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 当日は、飛鳥氏の「光の茶室」でもお点前をさせていただきました。 そのお写真は以下にもご紹介されておりますので、ご覧ください。 http://aat.fc2web.com/content/misc/report.htm |