みんなで作る茶畑の中の茶室プロジェクトの「茶室について白雲塾長から」
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茶室について白雲塾長から
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2010年02月23日 23:27
抹茶は、寺院の中で禅の儀礼や座禅の時の飲み者として用いられ、やがて豪華な広間で贅を尽くした茶の会となりました。

その後、珠光・紹鴎・利休が、茶のための部屋を質素にすることで、精神と現実が調和した世界を表そうとしました。

必要なものだけによる茶空間の創造は、佗茶成立とともに求め続けられてきたものです。

例えば柱一本にしても、直線を意識させないように考えれば、角柱より丸柱を用いた方が自然です。

また用いる材料も、佗の心からいえば、高価な物を求めるのはかえって不似合いだという事になります。

『茶話指月集』(江戸時代1701に出版された茶人の逸話集)には、「利休、門下の人、いかやうなる座敷かよく候そと問れたれは、休、うめ木のおほい座敷かよく候と答ふ」というように、使い古した材料により造る茶の部屋がよいとされます。

部屋の広さについても、二畳は亭主が茶を点てられる一畳と、客の一畳という最小空間であることは明らかであります。

『南方録』(江戸時代の茶道理論書 写本)墨引きには、「二畳敷きもやがて二十畳敷きの茶室になるでしょう。私宗易は、三畳敷きを作ったのさえ、道の妨げと後悔している。」とあり、これ以上でもない、これ以下でもないという広さが、二畳の部屋になります。

珠光・紹鴎・利休と、深められた佗茶の、茶室の在り方の考えをしっかり捉え、さらに新しい方向性を目指すことが、現代、文化に携わる者の役割であり、義務と言ってもよいことです。

たとえそれが、正しい一歩にならなくとも、過去の歴史を踏まえた上で、まず一歩を踏み出そうとしなければなりません。

饗応の茶から脱却し、心の茶を模索し自己成長していくという改革、この気力を実際に佗茶により実現させること、それこそ古人の求めた佗茶の在り方なのですから。

「今この時から、茶道により心を鍛え始めよ」

この茶室に座るとそのような声が聞こえてくるように思います。

(参考)
『南方録』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%96%B9%E9%8C%B2

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