農商工連携の「越後長岡藩牧野家「ひな人形の里帰り」(かけがわ春のお茶まつり)」
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越後長岡藩牧野家「ひな人形の里帰り」(かけがわ春のお茶まつり)
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2013年04月25日 15:43
4月27日(土)から5月6日(月)まで二の丸御殿にて越後長岡藩牧野家「ひな人形の里帰り」を開催します。
このおひな様は越後長岡藩十代藩主、牧野忠雅(ただまさ)公の養嗣子忠恭(ただゆき)公の娘、つね姫出生の翌年、母の実家である遠州掛川藩主太田資始(すけもと)公から贈られたひな人形で、この度170年ぶりに里帰りするものです。
その年代や花押、家紋などから作者は「幻の名人」と称された「江戸の人形師、二代目仲秀英(なかしゅうえい)」の作です。
江戸時代に掛川藩と長岡藩と密接な繋がりがあり、また現代においてもを両市の交流の架け橋になっているおひな様を是非ご覧になってください。
オープニングセレモニーは4月27日(土)11時15分より約30分間行います。
なおセレモニーでは現在の所有者である石田住職による講話がございます。

書き込み数は4件です。
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Re: 越後長岡藩牧野家「ひな人形の里帰り」(かけがわ春のお茶まつり)
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2013年04月30日 13:44
*おひな様のこぼれ話*

おひな様について掛川城のすぐ南で甲冑や刀等を販売している鎧屋の重田さんにひな祭りについての興味深い話を聞きましたので掲載します。
(表現誤りなどあるかもしれませんがご了承ください。なお諸説あるそうです。)
ひな祭りはこどもの健やかな成長と厄除けを願うものであり、その様式は結婚式を表しています。形式は統一されたものはなく、全国各地で様々なものあります。例えば男雛と女雛の位置については関東と関西では逆となります。これは江戸時代において京都御所(天皇)を背にして男雛を左(向かって右)にする、関東では御所に向かって左(向かって左)(明治時代まで左が上座)にするなどの違いがあるそうです。
3人官女は女性のたしなみ、成長を表していると言われています。両脇の女官はそれぞれ10代、20代で、10代の方は口を噤んでいますが、20代の方は開いております。これは10代のうちは口を挟まずお指図通りに動く、20代になったら自ら率先して動くことを表し、真ん中の女官(眉なし、お歯黒)は30代くらいで両脇の女性を指導しているそうです。ちなみに今回飾られているおひな様には3人官女は居りませんが、それは大名家(武家飾り)から送られたものであるためだと考えられるそうです。
また5人囃子(場所によっては7人等)はこどもの5体満足の成長を祈るものであり、菱餅にも雪(冬)を表す白(冬には風邪をひきやすく、当時は風邪でも命を落とすことがあった)から芽が出ることを緑(春)で表しているなど、昔の人たちがこどもの成長をどれだけ切実に願っているこころが、ひな人形の随所に表されているそうです。

Re: 越後長岡藩牧野家「ひな人形の里帰り」(かけがわ春のお茶まつり)
【返信元】 越後長岡藩牧野家「ひな人形の里帰り」(かけがわ春のお茶まつり)
2013年04月30日 10:44
4月27日(土)おひな様の里帰りオープニングセレモニーが行われました。
当日の新聞を見て来た方から、たまたま立ち寄った方まで住職の講話を
じっくりと聞き入っていました。
このおひな様は5月6日まで二の丸御殿で公開しておりますので、是非足を運んでみてください。

 
Re: 越後長岡藩牧野家「ひな人形の里帰り」(かけがわ春のお茶まつり)
【返信元】 越後長岡藩牧野家「ひな人形の里帰り」(かけがわ春のお茶まつり)
2013年04月28日 11:25
酒好きにはとっておき情報を・・・
”越後長岡地酒直売会”

おひな様の里帰りに併せ、長岡市の造り酒屋”お福酒造”が試飲販売中!!
「飲むほどに福を招く酒」という願いを込めお福酒造と名付けられたそうです。
お福酒造は、今では一般的な醸造法「速醸?瞼(そくじょうもと)」という醸造技術を作り上げた蔵元です。
今回は、自社の商品チラシにも載らない限定商品、純米吟醸「山古志」です。

場所はこだわりっぱ
期間は本日28日16時まで
試飲もたっぷりできますよ。
 
Re: 越後長岡藩牧野家「ひな人形の里帰り」(かけがわ春のお茶まつり)
【返信元】 越後長岡藩牧野家「ひな人形の里帰り」(かけがわ春のお茶まつり)
2013年04月28日 10:15
おひな様が結ぶ”縁”

越後長岡藩牧野家「ひな人形の里帰り」で”縁”が広がっています。
吉徳コレクション主任学芸員Y氏の来訪をいただきました。

Y氏によると、二代目仲秀英の作品が出てきて驚嘆している。との弁。
種類:古今雛で当時の江戸の裕福な階級向けのもの
特徴:十二単でなく、町方の上流階級の趣味主張や歌舞伎の武家を参考に制作されており、当時でも大型で、顔なども当時の江戸の人々の好みのままのもの。
だそうです。

また、袖の布は実際に誰かが来ていた装束だそうで、たぶん太田資始公が自分の装束に思いを込め、制作者仲秀英へ自分の装束を使って制作するよう依頼したのではないでしょうか。子を思う親心と、当時は嫁ぐことは今生の別れと考えた時代、形見分けの意味もあったのでしょうか。

Y氏秘蔵コレクションである、二代目仲秀英五月飾りの掲載承諾をいただきましたので掲載します。