東山口地域生涯学習センター【公式】の「来春のウォーキング 東山口にある遠江三十三観音霊場札所」
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来春のウォーキング 東山口にある遠江三十三観音霊場札所
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2016年12月11日 14:17
来春のウォーキングで行ってみませんか?
 東山口にある遠江(とおとうみ)三十三観音霊場(札所)
 
 毎年恒例となっている東山口地区ウォーキングが来春も開催されます。今年は、東山口学習センターをスタート・ゴールとして、西部方面を回る予定です。詳しいお知らせは、各戸に配布されるチラシをご覧ください。コースの中でも、由緒ある「遠江三十三観音霊場」は見所の1つです。
 「札所」とは、巡礼で巡るお寺のことです。観音経には、観音さまは三十三の姿に変化して人々を救うと説かれています。その数に因んで札所の数は三十三が定番となり、江戸時代以降全国各地に観音霊場が開かれてきました。遠州三十三観音霊場も「遠州の地に仏国土を」の理想の元に昭和59年(1984年)5月に発願開創され今に至っています。
 この遠江三十三観音霊場の内、3つの観音霊場(札所)が、東山口地区にあります。
 第18番新福寺(池下)、第19番慈明寺(小原子)、第20番観音寺(原子)です。本年度地域づくり部では東山口の西部方面のウォーキングを予定しており、これらを訪れる予定です。
 
 第18番新福寺(池下)
このお堂は天文5年(1536年)に再建されたといわれています。「はるばると登りて見ればさよの山 不二の高嶺に雪ぞ見えける」という御詠歌から、寺がかつては小夜の中山にあったことがわかります。小夜の中山・久遠寺の奥の院だったようです。現在、春彼岸、秋彼岸の2回だけお堂を開け地元の方が丁重に供養しています。その為に、日に晒されることも少なく中にある天女の絵や俳句や、紺紙金泥の連歌は、他のどこのものよりも鮮やかです。

 第19番慈明寺(小原子) 
伝説によると、昔、この山中に一人の美女がやって来て、村人に「観音経に帰依した人の妻となって、子供を養育します」と言ったという。村人はこぞって結婚を申し込んだ。女は「私は一人だから多くの人の妻にはなれません。もし私を思うなら観音経を読んで下さい。必ずあなた方の童子・童女を守護します。」と言い、観音像一体を残して消えた。その為に村人は観音経に深く帰依した。こういう話が残っています。その為か奉額も安産・子育観世音永代奉額と最初に銘打っています。また、境内の左手にはしめ縄の張られた大きな石があり、堂内にはキリシタン禁止の高札(五榜の掲示)があります。観音堂の東側には明治40年に書かれた奉納額の俳句が掲げてあります。

 第20番観音寺(原子) 
通称子安観音として親しまれており、安産・子育てに霊験あらたかであると言われています。敷地の左奥に徳本上人の書かれた「南無阿弥陀仏」(徳本文字)を刻んだ碑が立っています。上人は江戸時代、厳しい修行を行いながら「南無阿弥陀仏」を唱え全国を行脚したことで知られています。観音堂については棟札に天正17年(1589年)とあり、長門守康通の時代の建造であることがわかります。観音堂は原子の人達により常にさっぱりと管理されています。俳句の奉額が堂内の南面に掲げられ、明治39年(1906年)11月3日大工伊達平一と記されています。
また、観音堂の裏手の高台に大きな石碑が建っていますが、これは大原子で数学を教えた榛葉平治翁を讃えた顕彰碑です。

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