掛川茶の歴史を知りたいの「チリ国と掛川茶の深い関係って?」
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チリ国と掛川茶の深い関係って?
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2010年11月21日 20:22
(永井さん)

永井さんの祖先は、正徳年間(1711年から1715年)に静岡から、東山へ移住。静岡から来たので「府中屋」という屋号で最近まで呼ばれていたという。

最近では屋号で呼ぶ風習もなくなってしまったが、出身を表している屋号などもあり、大変興味深い。

祖父は、明治、大正、昭和初期、茶業教師として活躍した永井宇八氏(明治16年生)。

みんなに「先生」と呼ばれていた。

明治39年の製茶法研究会で「研修生」として学び、40年に修業証書を授与されている。その翌年の研究会では実習試験で一人最高点「二級 甲」点を取る。(『小笠郡茶業史』375p)

26歳(明治42年)で三重県茶業試験場の教師となった。

それから60歳で他界するまで熱心に、県内だけではなく三重、九州まで出向き、茶業の指導にあたった。

永井さんは、59歳の時も茶園共進会より優等賞を受賞し、「他界する前年も、一生懸命揉んでたんだね」と賞状を見ながら、顔を明るくされた。

でも、熱心過ぎて、茶畑が忙しい時期に家にいなかったため、自分の茶園の経営は傾き、息子さん(永井氏の父)は継がずに町に出て行ったんだ、と話してくれた。

たくさんの賞状は、今回写真を撮るので、額に入れられた。

「丸まってたんですけどね。額に入るといいね」

しかし、小さいときのお気に入りの万国博覧会の表彰状がどこを探しても見当たらないのだと言われた。

「万国の国旗が周りに描かれた賞状だったので、その国旗を見るのが楽しくて、よく広げてみたんだけど、探しても見つからなかった」

そう聞くと、確かに見たい。。。

しかし、いろいろな方の納屋にも、お宝がそれなら眠っているかも?
東山歴史お宝展示会も企画できそう・・・である。

長細い南米の国チリとの交流が見られる表彰状もある。


当時、茶畑の肥料としてチリ鉱石が活用されていて、「チリ硝石施用 第一回製茶品評会褒賞」二等賞の表彰状。(右はスペイン語と思われる)

これは、なんとチリ公使主賓の晩餐会が、明治43年10月8日、静岡の浮月楼においてひらかれたとき!と日付が同じ!(感動)

その前に行われた授与式では、あの新渡戸稲造(『武士道』の著者でもある)の講演会もあった。(感動!)

以下の河村氏のブログに晩さん会の招待状や授与式の式次第が掲載されている。(貴重)
http://www.e-com-shimada.jp/cell15/modules/wordpres…php?cat=16

(他の賞状については次回へつづく)

書き込み数は2件です。
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Re: チリ国と掛川茶の深い関係って?
【返信元】 チリ国と掛川茶の深い関係って?
2010年11月24日 04:54
チリ硝石について以下教えていただきました。ありがとうございます。

「現在でも輸入されており、肥料の名前としては硝酸ソーダと呼ばれています。
その名の通り硝酸態窒素を含み、茶の木が好む肥料です。しかし、私の知る限り現在では少なくとも茶ではあまり使われていないように思います。

茶の木は窒素を好みますが、硝酸態窒素よりもアンモニア態窒素をより好みます。たくさん窒素を吸収させようとするなら、どちらも施肥するのが望ましいと言えます。

ただし、硝酸態窒素は河川に流れ込むと硝酸汚染を招き、魚などの水生生物に害を与えます。
過去に河川の硝酸汚染が問題になった為、県も窒素の施肥量の削減を指導していますし、硝酸態窒素は有機肥料にも含まれるので、わざわざ選んで硝酸態窒素を施肥することはあまりしないかと思います。指導機関の施肥指導でも硝酸ソーダは見ません。」

(大変詳しい情報で感謝します。現在は、茶畑にはほぼ用いられてないのですね。化学系が大変苦手な完全文系の日本茶インストラクターですので、どうぞ皆様お力お貸しください)
Re: チリ国と掛川茶の深い関係って?
【返信元】 チリ国と掛川茶の深い関係って?
2010年11月21日 20:27
新渡戸稲造『武士道』、岡倉天心『茶の本』と言えば、当時、海外に日本の精神文化を紹介した傑書ですよね。

永井さんのおじい様、新渡戸稲造に会ってたんですね~。

新渡戸稲造が農学博士というのを、ここで知りました。

静岡に来てくださったので、チリ公使が講師のおもてなしをかねて晩餐会を開いていたようです。

東山とチリの友好がこんなことから発展していったらいいなと思う私でした。