掛川茶の歴史を知りたいの「籠向き、釜向きの茶があった?」
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籠向き、釜向きの茶があった?
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2010年11月23日 00:55
明治大正期は、お米もお茶も日本の大切な農産物であるが、その2つには、大きな違いがあった。

お米は国内向け。
お茶はそのほとんどが輸出用だった。

だから、お茶をがんばって生産することは、すなわち外貨を獲得し国力を付けることになる、と戦時下にも「がんばりなさい」と、政府から応援の声がかけられるほど。

明治9年、鉄焙炉が初めて作られた。

従来の紙焙炉(紙だけを貼ったもの)に比べてコストがかからず、品質も変わらないと試験結果が出て、鉄焙炉(紙の下に鉄棒を通したもの)も使われ始める。

当時は手もみ茶が主体であるので、紙だけの焙炉だと、床に戸板を置いて作業していたが、鉄棒が通されると、助炭の上に茶を置いて強く揉めるようになったようだ。

「揉み切り」と言われる手法が主体だったのが、明治18年ころに「転繰揉み」という手法が出てきて、次第にそちらが人気が出る。

その「転繰揉み」は形状の美しさに傾き始め、香りや水色が良くないと改善が叫ばれた。

そこで、小笠郡立伝習所が開設され、生徒を募集する。しかし、「転繰揉み」が流行しているのに、他の製法を教わりに来る生徒はいない。

創立者は自ら伝習所の費用全額負担しながら、なんとか「揉み切り製法」を復活させたのである。

この製法は、若芽に向いており、これがきっかけとなり、茶はますます若芽を摘むことが奨励しはじめた。

大正期の煎茶の製法は「揉み切り製」「転繰製」「折衷製」と「機械製」があり、さらにこれらを「籠向製」と「釜向製」の2つに分けている。39p

釜向は、内質(香り、味、水色?)に重きを置き、
籠向きは形状に重きを置く(中に「天下一」製と呼ばれる針のように成形する茶もあり)

多くは釜向茶であった。
(仕上げの火入れの時に釜で加熱するのが釜向茶=パン・ファイヤードで、籠に茶葉を入れて乾燥加熱するのが籠向=バスケット・ファイヤードということだと思われる?)

そこで、永井氏の賞状を読むと、「釜」「籠向」とあるのがわかる。

それを知ると、この表彰状ももっと面白く見えてくる。

「天下一」の茶は、ALL ABOUT TEAというアメリカ人ジャーナリストが大正時代に静岡茶を取材して書いたお茶の百科事典のような本にも、「スパイダー・レッグ(蜘蛛の足)」のような「パイン・ニードル(松葉)」のような茶として紹介していたが、

実はそれはあまり多く生産されていたものではなく、近代茶業界の父とも呼ばれるかの有名な大谷嘉平衛翁が、掛川に講演に来た時(明治44年525p)に

「静岡の皆さんは天下一製の茶が良質だと勘違いしているが、本当に良い茶は宇治製である。あれはただの珍しいお茶の製法の一つだ」と言っていた。

(この講演記録も面白い)

掛川地域(旧小笠郡)でも、揉み切り製釜向茶が盛んだった。
釜炒り製、青製、日乾製は少ない。(とある、ということは少しはあったということだ)40p

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Re: 籠向き、釜向きの茶があった?
【返信元】 籠向き、釜向きの茶があった?
2010年11月23日 00:57
ということは、「手もみ茶」とは、再製工程前のお茶とういことでしょうか。
荒茶ということ?

改めて考えましたが、そうなのでしょうか?

書きながら資料整理、編集作業してますので、誤字や誤解ございましたら、ぜひ教えてください。