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掛川茶の歴史を知りたいの「「明日から茶摘みで、学校はお休みです」」
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「明日から茶摘みで、学校はお休みです」
【閲覧数】1,297
2010年11月27日 00:33
あこ
(茶文字の、元の文字はわかりましたでしょうか?
さて、今日は続きです)
粟ケ竹の「茶」文字は、昭和七根頃に、荻原修平氏の発案で植えはじめられたもの。
何の木か、ご存じだろうか。
掛川市民なら、すぐ答えが返ってきそうである。
最初は「松の木」だったが、松くい虫にやられ(昭和50年代)て、
現在はクヌギだそうだ。
しかし、ミステリーサークルもしかりだが、どうやって遠くから「茶」の文字に見えるように植えることができたのか?
それは、縄に紙を着けて、形をとり、遠くか眺めに行って構想を練ったという。草冠の横幅は当時、60間。(142p)
ギネスブックに登録しようと、一回、計ったが、全長を計るのがなかなか難しく、「途中で断念」とあったので、ぜひ、もう一度トライしてもらいたい!
(余談:粟ケ岳は、「淡ヶ岳」とも書き、二宮金次郎を崇拝し、報徳の教えを掛川で広めた岡田淡山翁は、「淡ヶ岳」から一字をとったと言われているので、江戸時代は淡ヶ岳の方が一般的だったのかもしれません。)
<学校の茶休暇>
初回の聞き取り調査で70歳代前後のかたから、
――昔はそういえば、「さあ、お茶の時期になりました。学校はお休みです」と先生から、言われたね。
というお話が出た。
もちろん、今はない。
昔は子供たちは、茶摘みシーズンになると、畑の手伝いをしてはお小遣いをもらうのが楽しみだったとか。
明治24年~33年まで2週間の休暇があったという。
33年に廃止されるのだが、廃止されても、児童はその時期結局、学校に来ない。
そこで、しょうがないと学校もあきらめ、夏休みを少し短縮するという条件で、明治41年から製茶期10日間はお休みとなったのである。(『小笠郡茶業史』798p)
<明治の教科書に茶話が掲載されていた>
明治30年の静岡県各地の高等小学校の教科書、19p~27pまで、「茶の話」が掲載されていた。(『小笠郡茶業史』798p)
始まりはこうだ。
――「日本にて平生の飲料として用いているものは数多あるが、中でも茶派はなはだ有用な飲み物である」
以下はダイジェスト
――精神を爽快にし、気力を補うという益がある。牛乳は西洋で多く飲まれている飲料だが、わが国では価格が高いので平生の飲料とすることはできない
現今にては三度の食事の跡にはだいたい茶を喫する習慣となり、客が来ればまず茶をすすめ、宴会の前後にも必ず茶を出し、終日職業を執れば午前午後に一度ずつ茶を飲み、その労を慰める。
茶の第一の生産は中国、これに次ぐのが日本、それからインドと次ぐ。わが国で最も多く茶を産するのは静岡県、京都がこれに次ぎ、三重はその次――
その他、製造法や他国の飲み方にも触れてある。
当時は、小学校に行くにも、畑に行くにも、草鞋であった。
畑に行くと、一日、二日で切れてまた作らなくてはならない。
それが、大正の終わりころからゴム靴や地下足袋が製造販売されるようになり、山へ入っても、トゲに悩まされることなく便利な靴の時代となった。182p
しかし、70代の皆様の子供の時は、「草鞋履いてたね」というお話。
(次回へ)
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