掛川茶の歴史を知りたいの「茶畑が縁結びスポットに」
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茶畑が縁結びスポットに
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2010年11月27日 00:36
<茶畑に風紀問題があった?>

当時は手摘みである。

子供の手だけではとても足りず、農家はそれぞれ、茶師と茶摘みさんを雇い入れなくてはならなかった。

各家に茶師の家と茶摘み娘さんたちが宿泊できる家があった。

これは袋井で聞いた話だが、茶師たちが茶を揉み始めるとすぐわかったという。
必ず、「○○流」というのぼり旗を掲げて揉むためだ。

茶師は男、茶摘みは女性ということで、この間で結ばれるカップルもあった。

聞き取り調査の時、
「あそこの○○と、××は、そうだら」などと、実際にお話にも出てきた。

しかし、仕事中に男女交際を行うなど、明治大正期は不謹慎!

同じ工場に、男女が一緒に働くだけでも、「悪弊」と問題になった。
「良家の子女に感染してはいけない」とまで叫ばれた。

そこで、雇主の製茶業者に責任を持って監督指導するように!と強く警告している。
(『小笠郡茶業史』793p)

『小笠郡茶業史』に、「青年客気の男女輩が、言うに忍ばれる罪過を犯し、少なからぬ悪弊を醸しつつ、害毒を社会に流すに至る」とあり、時代を感じる。

<茶の実で国家を救う>

さて、少々時代が下り、昭和、第二次大戦下、茶畑の茶の実を摘むのは子供たちの仕事だった。

茶の実を何に使うかと言うと、政府が集め、油をそれから採取するのだ。

しかし、当時の子供たちは、何のために集めるのは知らず、茶の実を集めていた。
ある日、大地震が起こり、

「あの日も茶の実を集めに行ってたけど、びっくりした」
「いや、私は少し年長だったから戦地に行ってて知らない」

というお話になった。

戦時下、平和そうな東山の茶畑に爆弾が落ちたことがある。

「あれは、間違いだったんだよね」

しかし、茶工場は必死だった。

「今の若い者に話しても、笑うだろうが、あのころは命をかけてお茶を摘み、揉んだ。空襲だと言われたら、茶摘みの手を止めて隠れる。工場は薪や戦時下で悪い炭しかなかったから、煙がもくもく出る。

煙を出すなと指導されても、やっぱり出る。こうなったら、爆撃されるのを覚悟で揉まなきゃならない。そんな状況で必死で作ってた」(『幻のお茶』s62)

茶畑人の心意気を感じる逸話だ。

(明日は東山一服処に行ってきます)

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