掛川茶の歴史を知りたいの「地震、そして五郎左エ門の石」
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地震、そして五郎左エ門の石
【閲覧数】1,046
2011年03月12日 23:56
報道で関東、東北の地震の被害状況がわかってきまして、また、私の身近な方々のお話もお聞きし、大変心を痛め、心よりお見舞いを申し上げたく存じます。

地震の影響で、昨夜までは東山への、学者団の視察ツアーが行われる予定でしたが、環境庁などの判断により、本日、早朝、中止が決まりました。

準備を整えていた地元の皆様には大変残念なことでしたが、皆様の無事が第一。

地元の方たちと市や県の関係者の方たちで、用意していた弁当などをいただくことになりました。

(お心入りのお弁当はお茶や地元の春の山菜で彩られてました)

その後、五郎左エ門の石(1600年代に東山に移住してきた高天神の落人が粟ケ岳参拝者のために全十八町、一町ごとに道標を建てた)を見に行きました。

九町と刻まれた石のみ現在わかっています。

前面に「○第九町」
右側面に「参詣為諸願成就」
もう一方の山頂側の側面には「施主○村五郎左エ門」とあります。


○にあたる文字はまだ読めてません。
「施主○村」の方は、五郎左エ門が高天神の落人で、

1.初め字(あざ)「椎林」で土地を所有したという
2.高エンジン城は「鶴翁山」と言い、小笠郡城東村にあったという。

というところから推測できるか?
昔の古地図を見てみないとわからないかもしれませんし、苗字にあたるものがあったのか?

まだ調査中です。

何かご存知の方ございましたら、ぜひご教示お願いいたします。


書き込み数は3件です。
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Re: 地震、そして五郎左エ門の石
【返信元】 地震、そして五郎左エ門の石
2011年03月13日 11:01
ちなみに、「七町」は、
石碑がはずされていて、

明治以降と聞きましたが、灯篭に返られてました。

夜は灯篭に火がともると、わかりやすかったことと思います。

灯篭には年号、七町とも刻まれてませんでしたが、
地元の方たちは、この灯篭の辺りを「七町」と呼んでいるそうです。

五郎左エ門の道標によって、町に浸透していたのではないかと思います。
Re: 地震、そして五郎左エ門の石
【返信元】 地震、そして五郎左エ門の石
2011年03月13日 01:16
江戸時代の石の道標を調べてみると、

頭一字は、
「右~」
「左~」

と、書いているところが多いですね。

左、と読めればいいのですが、、、

瓜 に見える。。。

凡 で、おおよそ、という意味あるのでしょうか。

上記に書きましたが、二文字目からは「第九町」と読めます。

Re: 地震、そして五郎左エ門の石
【返信元】 地震、そして五郎左エ門の石
2011年03月13日 00:36
郷土史によると、

サンナ川辺りを起点として、一町ごとに一基ずつ、粟ケ岳観音寺入り口に「十八町」の道しるべがあり、年号等が刻まれていたという。

それを昭和40年くらいには、サンナ川右岸橋の傍らに運んで据え置いたそうだが、土中に埋もれてしまった、と書いてあります。

サンナ川とは?

次回行ったら聞いてみます