カケレコ編集部の「【後編】「地域の見つめ方を問い直す」 ~内山節さんの言葉を拾う~」
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【後編】「地域の見つめ方を問い直す」 ~内山節さんの言葉を拾う~
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2013年03月08日 13:19
講演会「地域の見つめ方を問い直す」 ~内山節さんの言葉を拾う~

【前編はこちら】

 

■巨大システムの限界感が高まる中で

明治以降、そして戦後、私たちは小さなものを壊し続けてきた。巨大システムができあがり、その中で社会が動いている。今、世界の情勢を見ていると巨大であることが足かせになっている。

例えばトヨタは年間2000万台の車を生産している。これだけ規模が大きいと、ちょっとしたミス、ちょっとした世界経済の変動が、巨大赤字につながる。
パナソニックは800億円の赤字。
テレビの安売り競争では誰も勝っていないという状況。
大きいことが有利ではなくなってきているということだ。

私の暮らす上野村では、地域のエネルギーを地域で循環していこうと「エコビレッジ構想」が進んでいる。村の暖房を間伐材を使ったペレットストーブにするため、買えない人は村が買ってリースする動きがある。暖房器具は30万円。上野村は人口1400人で400戸。半分の200戸が買えないとして、30万円×200戸=6千万円で何とかなる。人口1400人の村だから可能だった。地域循環社会を作ろうとしたとき、小さいことが有利になるということだ。

もう「大きい」こと、「大量生産」が良い時代ではない。小さな労働の場をつなぎ合わせながら、社会も地域も経済も一緒に循環していく。それがこれからの社会のあり方だ。
そのとき、これまで苦労してきた若者たちがキーマンになる。苦労している間の「シェアする」「お金をかけない」「つながりをつくる」「結びつく」などのノウハウがきちんと積み重なっている。彼らを軸に世代交代してもいいと思う。

これからの社会は多様な結びつきが多層に積み重なり、様々なコミュニティを作る。ひとつひとつは強固なもの、脆弱なもの、いろいろあっていい。いろいろ結びついて積み重なるとき、社会全体が強いものになるのだと思う。



■関係を結び続ける

間伐材の話でいけば、これまで捨てられてきた間伐材は自然と結びつき、山の肥料になっていた。自然との関係性の中では価値のあるもので、関係を結び続けなかった人間にとってだけゴミだった。
この建物も、誰も関係を持てずにいたらただの粗大ゴミだ。関係性を持ち続けることで有益なもの、価値のあるものになる。
それは人間も同じ。今、東京では誰も手を合わせることなく亡くなる人が10%もいる。10人に1人がお葬式のあがらない時代。全国でも5%。関係性がないとき、言い方は悪いが人間のなきがらさえゴミになる、ということだ。こんな世の中でいいのか。
ではどう関係を作っていくか。その単位はそんなに大きなものではない。小さければ関係づくりができる。

■社会を根本から作りかえる時代

国のシステムも含めて、巨大スケールの中で自分だけを守る時代を根本から変えていかなければいけない。どれだけ小さく分解していけるか。その小さな社会にどこまで経済を組み込んでいけるかが重要だ。

震災のとき、国も県も市町村も機能しなかった。三つともだめだった。
初期の頃は本当にひどくて、体育館に避難して一週間くらいすると、配られるものが菓子パンやおむすびだけなので、体力のないお年寄りや小さな子どもから食べられなくなる。何とか温かいものを食べてもらおうとトラックで現場に行くと、ほとんど市町村にはねつけられた。「何食持ってきたか」の問いに「100食分」と答えると、「ここには120人いて平等にならないから持って帰ってくれ」と言う。「20食足りません」と大きな声で言えばいいだけの話で、そうすれば「私は我慢します」とか「私たちは夫婦で一つでいいです」とか、絶対に何とかなるはずなのに。
かりに人数分揃っていても、「ここの避難場所だけ温かいものがあるのは市民の不平等を発生するから」と断る。そういう形で抵抗する市町村って何なんだろうと思う。
頑張ってくれる職員さんがいても、市と現場の板挟みでボロボロになっていた。そういうことが至るところで起きていた。行政って一体何なのか、と思った。

既存のシステムは全部だめということだ。それが明確になった。全部作り直す必要がある。しかし、その芽は見えている。今まで頑張ってきた人が芽を作っているので、方向性がないわけではないからだ。そういうことを念頭に置きながら、これからの地域づくりは考えていかなければいけないと思います。



■質疑応答から① ~前の時代からつながっているもの~

質問者:今日のお話の中に「小さな経済単位」「自然との関係性」「道徳と経済のバランスの問題」など、報徳思想とつながることが非常に多いと感じました。
そのあたり、お聞かせ下さい。

内山さん:榛村さんの時代から「報徳」を勉強しろと言われましたが(笑)、いまだ不勉強なのですが……。
今回、福島県の相馬地域は、昔の相馬藩ですが、津波もあって原発もあったという地域です。相馬の人たちを応援する人たちの動き、そして内部の人たちの気持ちを作っているもの、支えているものは、実は2つの軸があって、それが「浄土真宗」と「報徳思想」だと思いました。前の時代からつながっていたものが力になるということが、一つの方向性を示していると感じました。

■質疑応答から② ~どうすればキツネに騙されるか~

質問者:今日のお話の中で「自然と共に生きる」ということがありましたが、先生の著作『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』を読ませていただいて、自然に共感する力がまさしくキツネに騙される世界ではなかったかと思いました。
歴史学の手法の中では見えてこないものが歴史の中にはあると、先生は書かれていましたが、歴史の中でしっかりと表象していくには、キツネに騙されるような体験をするためには、我々はどのような体験をすればいいのでしょうか。どうしたらキツネに騙されるようになるのか、ということをお聞きしたと思います。

【補足】
内山さんの著作に『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』(講談社現代新書)がある。その中で内山さんは、1960年代を境に「キツネに騙された」という話を聞かなくなったと書いている。人々がキツネにだまされていた時代とは何だったのか、その時代に人々はどのような精神構造を持ち、どのように自然とコミュニケーションを取りながら暮らしていたのか、内山さんはこの著作の中で「キツネにだまされた」人が多数いた時代が持っていた精神世界を考察している。

内山さん:歴史学は文献に基づき、文献的証拠を積み上げながら「だから歴史はこうなのだ」と研究する学問であり、考古学は、遺跡や発掘物をもとに「だから歴史はこうだったのだ」と推測するものであり、民俗学は、残された伝承や習慣を見ながら歴史をもう一度組み直すものです。いずれも限界があります。歴史学は文献に残っていないものは消えてしまうし、考古学は「縄文式土器がこうだからこうなんだ」というかなり大雑把で大胆な予測に過ぎないわけで、そのときの人々の気持ちの動きまではつかみきれない。民俗学は見つけられるものしか見つけられないし、人々の日常や伝承というのは意外と不規則に変化するものなので、意外と歴史を持っていないことが多くあります。結局、どの方法を使っても、人間がどんな生き方をしていたのか、どういう結び合いの中で生きていたのか、という全貌はつかめないわけです。
一番大事なことは、「我々は知らない歴史の中で生きている」ということを知っておくということです。たかだか中学校や高校で習った日本史を知っているだけで、日本史を知っているという方が問題なわけです。我々が知っているのは表面上のごく一部のことに過ぎないのです。

しかし、昔の人がやっていたような体験をしていると、何となく感じ取れるものがある。例えば、春になると山菜つみに行きますが、たぶんそれは縄文の昔からやっていることで、そのあとの料理法は違うかもしれないけれど、そこには縄文の人と通じる何かがある。
あるいは、春になると畑を耕すわけですが、それは弥生時代から多くの人がやってきていることです。使う道具は違うかもしれませんが、土を掘り返すことによって、こうやって土とともに生きてきたんだなと感じることはできる。

何かに祈るということもそうです。今、日本の社会が失っているのは「祈り」だと思うのですが、おそらく昔の人はいろんなときに祈ってきた。子どもが生まれる前にも祈っただろうし、人が死ぬときにも祈っていた。でも今は病院に行って先生に「大丈夫ですか」と聞くだけです。
今、何かにふっと祈りたい気持ちになったとき、昔の人はこんなふうに祈りに向き合ったんだなと感じることはできるわけで、こうした世界を大事にしていったときに、ときどき針の穴みたいな感じだけれど、ポツッポツッとつながってきた歴史があると感じる。

上野村だとそうした昔からのつながりをたくさん感じることができます。「昔の人も同じように感じたんだろうな」と感じることが多くあるわけです。そういうことを通してでしか、人々が生きてきた世界を再認識することでしか、もう見ることができないのかもしれません。
そもそも生きることも死ぬことも、生まれる前はどうなっていたのかとか、死んでからどうなるのかとか、我々は何も知らないわけです。わからないものにいっぱい包まれて生きているということなんです。昔の人はそこのことをよく知っていたから、「祈る」ということをしていた。近代になって「調べればわかる」ということになってしまったのが、大問題なのだと思います。
我々は、わからないものに包まれて生きているのです。

レポート:NPO法人スローライフ掛川/河住雅子

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Re: 【後編】「地域の見つめ方を問い直す」 ~内山節さんの言葉を拾う~
【返信元】 【後編】「地域の見つめ方を問い直す」 ~内山節さんの言葉を拾う~
2013年03月09日 12:50
オレオレ詐欺犯罪者、そして、依然それに斯かる人たちがいる世の背景、深い真相もよく考えてみよう
Re: 【後編】「地域の見つめ方を問い直す」 ~内山節さんの言葉を拾う~
【返信元】 【後編】「地域の見つめ方を問い直す」 ~内山節さんの言葉を拾う~
2013年03月09日 11:36
レポートありがとうございました。

質疑②の方のおかげで、一番印象的で心に置きたい、忘れかけていた

『祈り』という言葉を持って家に帰ることができました!
Re: 【後編】「地域の見つめ方を問い直す」 ~内山節さんの言葉を拾う~
【返信元】 【後編】「地域の見つめ方を問い直す」 ~内山節さんの言葉を拾う~
2013年03月09日 10:23
とても、素晴らしい講演会でしたね。

2時間近く、静かに聞き入ってしまいました。

上野村・・相馬市・・
山を歩いていると時々見かける小さな祠・・・
頭の中にたくさんの景色がありました。
Re: 【後編】「地域の見つめ方を問い直す」 ~内山節さんの言葉を拾う~
【返信元】 【後編】「地域の見つめ方を問い直す」 ~内山節さんの言葉を拾う~
2013年03月09日 09:56
先日私の友人の高橋明子さんが上野村で住民ディレクター講座を行った様子がyoutubeにアップされていますので紹介します。
http://youtu.be/nL3G6UgkdrQ
Re: 【後編】「地域の見つめ方を問い直す」 ~内山節さんの言葉を拾う~
【返信元】 【後編】「地域の見つめ方を問い直す」 ~内山節さんの言葉を拾う~
2013年03月08日 14:22
河住さん
レポート ありがとうございます。

火曜日の講演会時が 甦ってきますね。
内山さんが 語った言葉はもちろん それに反応した自分の心の揺れ具合も甦ってきます。


   <(_ _)>  感謝。。