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2010年11月29日 20:18
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最新投稿:10年11月29日 20:18
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「お茶に生きる」 と、決めた、覚悟をした、という一言が書いてあった。 ジーンと胸打たれました。 東山茶のスピリットでもある。 そして、 「お茶をたたえて、お茶に感謝する」=謝茶 謝茶の記念碑が東山にある。 茶を通じて日本精神をかん養している、という理想をかかげている。 『お茶の掛川』16p(1968年) <お知らせ> 東山茶畑遠足を12月19日(日)に行います。 ご興味ある方、メールください。 |
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2010年11月27日 21:37
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最新投稿:10年11月27日 21:42
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掛川の茶のはじまりは? もっとも古く茶を導入したと、伝わるのが、和田岡村(高田、吉岡)。3p 吉岡原の茶派、元亀、天正(1570-92)の頃、春林院の末寺の、高田の永住時改築の時に、檀徒数名が西国の寺院を視察した途中に、茶の種を持って帰って撒いたという。 史実に現れるのは、その200年後、吉岡村の天明4年(1784)の風土記上帳である。 吉岡村と隣接する岡津村(曽我村岡津)には「御茶園畑永作反別帳」があり、茶園反別が記載… |
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2010年11月25日 23:02
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最新投稿:10年11月27日 20:41
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(毎日一話ずつは書かないと!と思っておりましたが、昨日は眠気に襲われて、すっかり早寝してしましました) <はじめての郵便ポスト> 東山に初めて郵便箱が新設されたのは、明治17年。 それまで手紙を出すにも一里かけて日坂まで歩いていたのが、本当に便利になったという。 (当時の村松賢作宅前にあったというが、今もあるだろうか? ・・・しかし、といことは、前回の明治45年にはポストもあり、特別郵便を送るのは不便だった… |
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2010年11月27日 00:36
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最新投稿:10年11月27日 00:36
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<茶畑に風紀問題があった?> 当時は手摘みである。 子供の手だけではとても足りず、農家はそれぞれ、茶師と茶摘みさんを雇い入れなくてはならなかった。 各家に茶師の家と茶摘み娘さんたちが宿泊できる家があった。 これは袋井で聞いた話だが、茶師たちが茶を揉み始めるとすぐわかったという。 必ず、「○○流」というのぼり旗を掲げて揉むためだ。 茶師は男、茶摘みは女性ということで、この間で結ばれるカップルもあった。 … |
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2010年11月27日 00:33
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最新投稿:10年11月27日 00:33
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(茶文字の、元の文字はわかりましたでしょうか? さて、今日は続きです) 粟ケ竹の「茶」文字は、昭和七根頃に、荻原修平氏の発案で植えはじめられたもの。 何の木か、ご存じだろうか。 掛川市民なら、すぐ答えが返ってきそうである。 最初は「松の木」だったが、松くい虫にやられ(昭和50年代)て、 現在はクヌギだそうだ。 しかし、ミステリーサークルもしかりだが、どうやって遠くから「茶」の文字に見えるように植えることが… |
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2010年11月21日 20:22
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最新投稿:10年11月24日 04:54
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(永井さん) 永井さんの祖先は、正徳年間(1711年から1715年)に静岡から、東山へ移住。静岡から来たので「府中屋」という屋号で最近まで呼ばれていたという。 最近では屋号で呼ぶ風習もなくなってしまったが、出身を表している屋号などもあり、大変興味深い。 祖父は、明治、大正、昭和初期、茶業教師として活躍した永井宇八氏(明治16年生)。 みんなに「先生」と呼ばれていた。 明治39年の製茶… |
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2010年11月23日 21:11
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最新投稿:10年11月23日 21:13
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明治100年を記念して地元の有志の皆さんが編纂した「東山郷土史」をはじめ、小笠郡茶業史など、関係書籍をお借りしてきたので、そこから東山の歴史を今回はお話させていただく。
(東山茶業組合のブログに東山の歴史のお話がまとめられています。今回は、その中に書かれていないところからピックアップもしますので、以下のブログと合わせてみると面白さ倍増と思います) |
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2010年11月23日 00:55
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最新投稿:10年11月23日 00:57
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明治大正期は、お米もお茶も日本の大切な農産物であるが、その2つには、大きな違いがあった。 お米は国内向け。 お茶はそのほとんどが輸出用だった。 だから、お茶をがんばって生産することは、すなわち外貨を獲得し国力を付けることになる、と戦時下にも「がんばりなさい」と、政府から応援の声がかけられるほど。 明治9年、鉄焙炉が初めて作られた。 従来の紙焙炉(紙だけを貼ったもの)に比べてコストがかからず、品質も変わ… |
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2010年11月22日 00:32
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最新投稿:10年11月22日 23:42
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東山は足利将軍時代の大永年間(1521年から1527年)に開村したと古書にあるが、当時の様子はわからない。(『東山郷土誌』昭和44年 4p) そして、お茶の始まりは・・・というと、 『小笠郡茶業史』には、 掛川市吉岡地域で徳川中世の頃から茶が製造されていたが、どれも「黒製」とある。(15p,33p) 「黒製」のお茶とは? 今ではもうご存知の方はいないかもしれない・・・ 黒製の茶とは、生葉を釜で炒ってから、筵の上で搓り揉みし… |
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2010年11月21日 01:07
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最新投稿:10年11月21日 14:57
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11/19 永井氏のお宅の聞き取り調査で、東山地区の「茶草場」について聞いた。 「茶草場」とは、茶木の根元や畝間に敷くための草(ススキやササなど)を刈る草場のことである。 長年にわたり地域ぐるみで定期的に刈り取られてきた結果、絶滅危惧種のキキョウやノウルシ、他にカワラナデシコ、ツリガネニンジン、ササユリなども育つ日当たりのよい草地が守られてきた。 農業のために実際に活用されることで里山の自然が維持されたこ… |
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