旅心で巡る掛川36景のトピック一覧
旅心で巡る掛川36景に登録されているトピック一覧です。
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[ 最新投稿順 ] [ 作成日順] [ 投稿者順 ] [ 閲覧数順 ]
吉岡彌生記念館 (0)
【閲覧数】172
2020年08月22日 14:29
最新投稿:20年08月22日 14:29
吉岡蒲生記念館は、吉岡弼生の顕彰と市民の健康維持・増進に寄与することを目的として、平成10年11月26日に開館しました。1階
に「吉岡弼生記念展示ゾーン」、「看護とケアの展示ゾーン」、2階にレクチャールームがあり、特別展や健康セミナーなどが行われています。背景地には、吉岡弼生の生家である鷲山病院の住居、長屋問、蔵が移築・復元され、明治時代の生活や地域医療の様子を偲ぶことができます。
[地図情報有り]
旧東海道 沓掛の坂 (0)
【閲覧数】183
2020年08月22日 14:23
最新投稿:20年08月22日 14:23
旧東海道にある各地の急な坂には、安全祈願をした掛川の沓掛坂と同じような名称の坂があります。昔は、急な坂では、坂であること以外に盗賊に襲われる危険などがあったことから、履き替えた沓(くつ)を木に掛けて、旅の無事を願いました。
[地図情報有り]
横須賀城趾 (0)
【閲覧数】186
2020年08月20日 17:49
最新投稿:20年08月20日 17:49
横須賀城は、天正6年(1578年)、徳川家康が家臣の大須賀康高に命じて、高天神城攻略のために築かせました。その後280余年に渡り横須賀藩の中心でしたが、明治維新とともに廃城となり、横須賀城の建物などは、1873年全てが解体され払い下げられました。横須賀城は、山城と平城を合わせもっているので平山城と言われ、山城から平城に移る中間期の特徴を備え、中世城郭と近世城郭の2つを合わせ持っています。また、普通1つしかない大手門…
[地図情報有り]
2020年08月20日 17:46
最新投稿:20年08月20日 17:46
江戸時代に整備された東海道には、旅人の暑さ寒さをしのぐため、松並木が整備されていました。また、一里(約4km)ごとに一里塚が設置されていました。この約300mの岡津・原川間の松並木は、地元の皆さんにより大切に保存・整備され、道の両脇に松がきれいに植えられており、当時を偲ぶことができます。
[地図情報有り]
松葉神社 (0)
【閲覧数】255
2020年08月20日 17:43
最新投稿:20年08月20日 17:43
松葉神社から約5kmの場所にある松葉の滝は、雌雄2つの滝があり、優美な雌滝と迫力ある水の音とともに勇壮に流れ落ちる雄滝が楽しめます。松葉神社には、養銭箱がありません。
[地図情報有り]
十九首塚 (0)
【閲覧数】209
2020年08月20日 17:40
最新投稿:20年08月20日 17:40
平将門は、藤原秀郷らにより征討されましたが、秀郷が将門をはじめ家臣19人の首を持って京に上る途中掛川の宿まで来ました。一方京からは検視の勅使が派遣され現在の十九首(じゅうくしゅ)区で検視を受けました。首実検の後、秀郷は「将門は逆臣なりども、名門の出である。その罪重しといえども、今や滅びて亡し。その屍にむち打つは礼に非ず」と19の首を別々に埋葬し、懇ろに供養したと伝えられています。地名の由来も19の首塚があ…
[地図情報有り]
掛川市役所 (0)
【閲覧数】205
2020年08月20日 17:36
最新投稿:20年08月20日 17:36
現在の掛川市庁舎は、平成8年5月に落成しました。生涯学習のふれあいの場が多く、一目でわかりやすい一体感の演出がされています。そのため2階、3階、4階に生涯学習テラスと名付けられ、市民と市民、あるいは市民と職員が大きなアトリウムと縁側廊下と直線階段を介してふれあい、まちづくり・人づくりの知恵が集結できるよう図られています。また、美しい樹林の中の市庁舎となるように、10m以上の大木50本を含む40,000本を敷地内…
[地図情報有り]
大日本報徳社 (0)
【閲覧数】219
2020年08月20日 17:33
最新投稿:20年08月20日 17:33
大日本報徳社は、江戸末期の農村復興に一生を捧げた二宮尊徳の弟子である岡田佐平治が設立した「遠江国報徳社」を起源としており、二宮尊徳の報徳思想の普及活動を行っています。平成19年12月末に修復が終わった国重要文化財の大講堂は、明治36年に建設された国内最初の公会堂で、外観は純和風の作りながら、内部の窓には洋風のデザインが取り入れられるなど、独自の工夫がなされています。
 鍬をもった二宮尊徳像は、当時、お百姓…
[地図情報有り]
東海の名城 掛川城 (0)
【閲覧数】198
2020年08月20日 17:29
最新投稿:20年08月20日 17:29
室町時代、駿河の守護大名今川氏が遠江進出を狙い、家臣の朝比奈氏に命じて築城させたのが掛川城のはじまりです。戦国時代には、山内一豊か城主として10年間在城しました。働き盛りの一豊は大規模な城郭修築を行い、天守閣、大手門を建設するとともに、城下町の整備や大井川の治水工事などに力を注ぎました。霧噴き井戸の伝説は、西から徳川家康、東から武田信玄に攻められた駿河の今川氏真が、重臣朝比奈泰朝の掛川城へ逃げ込み、…
[地図情報有り]
高天神城 三日月池 (0)
【閲覧数】384
2020年08月20日 16:45
最新投稿:20年08月20日 16:45
高天神城は、「高天神を制するものは遠州を制する」といわれた要衝。戦国時代に徳川、武田の両雄が攻防戦を繰り広げた決戦場で、東海一の堅塁を誇った山城です。
 標高132mの鶴翁山の地形を巧みに活かした高天神城は、「難攻不落の名城」とよばれていましたが、家康の兵糧攻めに遭い落城しました。搦手門から150段ほど上ったところにある三日月の池は、三日月井戸といい、城内に存在する2つの井戸のうちの1つです。礫層を浸み通っ…
[地図情報有り]
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