2023年11月21日(火) 

 

>文春オンライン  >「自爆テロを見ても、容赦がない」日本の知性・養老孟司 (86) がどんな宗教よりも「仏教」を信頼する理由   >養老孟司によるストーリー  >・14時間   

>「べつに私は仏教徒ではない。   

>でも外国の書類に宗教を書くときは、仏教徒と書く」   

> 養老孟司さんはなぜほかのどの宗教よりも、仏教に信頼を置くのか?    

>日本を代表する知性・養老さんの過去20年間に執筆したエッセイを選りすぐった新刊『 生きるとはどういうことか 』(筑摩書房)より一部抜粋してお届けする。

>(全2回の1回目/ 後編 を読む)   

>◆◆◆   

>人はなぜ生きるのか?   

> 人はなぜ生きるか。   

>こう訊かれると、すぐにいいたくなる。   

>そりゃ、人によって違うでしょうが。   

> お金のため、名誉のため、権力のため。   

>人生の動機はこれに尽きる。   

>そう考える人もある。   

>それなら男女はどうなる、家族はどうなる。   

>好きな女のために生きる。   

>もうだれも読まないだろうが、井上靖の「射程」はそういう男を描いている。   

>若いころ、この本にすっかり釣り込まれて読んだから、電車で降りるはずの駅を乗り越した。   

> 家族のためというなら、それは生きるためというより、食うため、食わせるためじゃないか。   

>食うのは生きるためで、それなら生きるのは、食うためではない。   

 

アニマルは食わずには生きられませんからね。   

 

> そんなこというけど、あたしゃ貧乏人だし、社会的地位もない。   

>金と名誉と権力には縁がない。   

>自分ではそう思っている人も、じつは金・名誉・権力の例外ではない。   

>そういう意見もある。   

 

アニマルにも力は必要ですね。適者生存ですね。       

 

>貧乏人の子だくさんとは、そのことだという。   

>それを説明する。   

> 突き詰めれば、人間の欲は権力欲である。   

 

あにまるを観察すればわかる。それは食欲、性慾、腕力ですね。生存競争の基本ですね。      

 

>気に入ろうが、気に入るまいが、とりあえずここではそう考えることにする。   

>金があれば、それなりに「思うようにできる」。   

>名誉があれば、それなりに人を「思うようにできる」。   

>ともあれ他人が自分の意見に耳を傾けてくれるに違いないからである。   

>権力があれば、むろんのことである。   

> 貧乏人はどうか。   

>どれもない。   

>ところが一つ、残された手段がある。   

>子どもである。   

>子どもにとっては、親は絶対者に近い。   

 

親に従わない幼児は生存できない。これはアニマルも同じである。     

 

>父親が変人で、子ども嫌いだったため、赤ん坊のときから中学生の年齢になるまで、一部屋に閉じ込められ、縛られていた子どもがあった。   

>その子はそれでも後に「母が恋しい」と書いた。   

>すべての権力に縁がないなら、人は子どもをつくる。   

 

子宝ですね。    

 

>だから貧乏人の子だくさんなのだ、と。   

> その欲、権力の欲を去れと説いたはずの人を私は一人だけ、知っているような気がする。   

>釈迦である。   

>だから私は釈迦が好きなのである。   

>そりゃ誤解だといわれるかもしれない。   

>そうかもしれないが、ともかくそうだと思うことにしている。   

> べつに私は仏教徒ではない。   

>でも外国の書類に宗教を書くときは、仏教徒と書く。   

>そう書いたところで、信じる教義を訊かれることはない。   

>でも仮に訊かれたとしたら、「欲を去れ」だという。   

>そう聞きましたという。   

>如是我聞である。   

> 欲を去ったら、人生の目的がないじゃないか。   

>そのとおりである。   

>だからといって、欲をかいていい。   

>そういう結論にはならない。   

>この「欲をかく」は、欲を欠くではない。   

>徹底的に欲望するという俗語である。   

> 他方、欲を欠いたら、たしかに人生は灰色である。   

>しかし欲は中庸でよろしい。   

>理屈が中庸なのではない。   

>中庸なのは欲である。   

>理屈を中庸にすると、理屈が役に立たない。   

 

優柔不断・意志薄弱になりますね。   

 

>このあたりは高級な議論だから、短くては納得しない人もいるかもしれない。   

>でも説明が面倒くさい。    

> 人はなにごとであれ、思うようにしようとする。   

>それは人の癖だから、どうしようもない。   

 

それは恣意 (私意・我儘・身勝手) ですね。   

 

>そういうものだと心得ておくしかない。   

>それを説くのが仏教だと、私は勝手に信じている。   

>他の宗教はそれをいわない。   

>いわないと思う。   

>むしろ徹底的にやれという。   

 

意思の力ですね。   

 

>宗教を信じること自体についても徹底を要求する。   

>容赦がない   

> 自爆テロを見ても、それに反対してテロ撲滅に動く人を見ても、そう思う。   

>相手を殺しても、逆に自分が死んでも、ともかく「思うように」しようとする。   

 

自己により失敗して死ぬ宇宙飛行士のようなものですね。覚悟の上ですね。      

 

>もう勘弁してよと、体力のなくなってきた老人は思うが、容赦がない。   

 

それは意思の強さの表れですね。   

 

> 容赦という言葉は、西洋語やアラビア語になるんだろうか。   

 

ありますね。英語の ‘relent’ は ‘優しい気持ちになる’ ですね。’容赦しない’ は ‘relentlessness’ ですね。      

 

>魯迅だって、「水に落ちた犬を打て」と書いていたはずである。   

>「世界はイヤなところだと思え」。   

>そう書いていたのは関川夏央氏である。   

>こういう点では、私もそう思う。   

 

全ては事の次第と成り行きに任せるのが良いということですかね。    

 

>いまでは世界は人間でできているというしかない。   

 

そうですね。人間が社会建設をした結果ですね。   

 

>その人間の悪いところを無限に拡大するようなことは、勘弁してほしいと思う。   

 

そうですね。過つは人の性 許すは神の業 (To err is human, to forgive divine.)    

 

>でもそうはいかないといいつつ、欲望は無限に増大するように見える。    

 

そうですね。欲望は宇宙の果てにまでひろがりますね。    

 

>やっぱりお釈迦様は偉い。   

 

‘神は死んだ’ からですね。お釈迦様は生きているのか。        

 

(略)   

 

 

 

 

.

 

 

 

 


閲覧数18 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2023/11/21 09:55
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