>コクリコ >「どうたら戦争を終らせられるの?」 子どもに聞かれたらどうこたえますか。 >コクリコ編集部の意見 >・5時間 >ウクライナ侵攻、パレスチナ問題に心を痛めているのは、大人だけではありません。 >子どもに戦争ってどう伝えたらいいのか悩んだら、物語で伝えるのはいかがでしょうか。 (略) >なぜ戦いたい人たちがいるのか、なぜ戦争は終わらないのか? >この童話には、空襲の被害を直接受ける人間は登場しません。 >代わりに、焼夷弾の炎で傷ついたタヌキと、爆弾の煙によって喉を傷めたカモメが出てきます。 >ケガしたタヌキについては「ケガしたらしいよ」「死んだらしいよ」と、他の動物から伝え聞く形にするか、実際に傷ついたタヌキを登場させるか、迷いました。 >“痛み”の要素が強いと、子どもたちが読んでいてつらいのではないかと気になったからです。 >しかし、伝聞では、戦争の恐ろしさが伝わらない可能性もあります。 >それで、タヌキには飛行塔の前に現れてもらうことにしました。 >タヌキの他にも、近所に住む少年をはじめ、ネコや鳥類、そしてチョウなど多くの生きものが登場しますが、もう1つ、無生物のキャラクターが出てきます。 >飛行塔の“友人”となる航空灯台です。 >戦前は、夜間に飛ぶ航空機のために生駒山の位置を知らせていた実在の灯台でした。 >物語では、「軍の情報に強くて飛行塔にさまざまなニュースを教える」というキャラクターにしました。 >なぜ戦いたい人たちがいるのか、なぜ戦争は終わらないのか……そういった事柄は、被害を受ける一般市民の側だけではなく、違う視点でも描いたほうが伝わりやすいと思ったからです。 >飛行塔と航空灯台は、時に語り合い、時に静かに黙って過ごし、やがて終戦の日を迎えます。
悪い政治家は自らの交渉に依らず、戦争により自己の政治問題を解決しようとする。国民も彼等を応援する。それが人類の愚かな所です。人類絶滅の危険もあるのだが、人類はそれを忘れている。
>戦争の終結を願い、その後も平和を祈り続ける飛行塔 >戦後、飛行塔は復活しました。 >新たに4基の飛行機が設置され、遊園地の他の遊具も整備されて、1946年に生駒山山上遊園地は営業再開しました。 >間もなく開業100年を迎えようとするなか、今もたくさんの人たちが飛行塔に乗って、山上からの絶景を楽しんでいます。 >そんな飛行塔の“数奇な人生”を描いた物語は、4年の歳月を経て完成しました。 >それが、このたび上梓した『100年見つめてきました』です。 >川上和生さんのイラストが、とても温かく優しく、物語を包み込んでくれています。 >書く段階では、戦争をテーマにした物語を、と気負いましたが、できあがった今はシンプルに、子どもたちに楽しんで読んでもらえたらと思っています。 >執筆して、改めて気づきました。 >心置きなく遊ぶことのできる日常は、平和があってこそなのだ、と。 >飛行塔に乗れるのも、他のテーマパークに行けるのも、ゲームなどを満喫できるのも、平和だからなのです。 >子どもたちが、たくさんの選択肢に囲まれながら遊べる世の中であり続けてほしい、と願っています。
平和は作るものですね。徳川家康は260年の平和をわが国に作った。彼のやり方を踏襲すればこの地球にも平和が訪れる。だが、他力本願・神頼みをしていると平和はいつまでたっても来ない。
>この童話を読むと、戦争の「痛み」とその後の平和の「ありがたさ」を感じる >新作童話『100年見つめてきました』は、吉野万理子さんの平和への願いからうまれました。 >戦争は遠い世界の出来事ではありません。 >身近なところにその痕跡はあります。 >関西圏に住んでいる子どもたちにとっては、生駒山上遊園地は身近な存在です。 >ぜひ行って楽しんで、そして飛行塔の悲劇とその後の復興を見つめてきたことを伝えてほしいと思います。 >いま小学校や中学校では、地域教育が盛んです。 >自分の住んでいる地域の特色や地理、名産や歴史をリサーチし、問題点をみつけ解決策を考える授業が行われています。 >リサーチを通じて、戦争の痕跡を見つけることがあると思います。 >そのときに、その時代になにがあったのか、そして自分が聞いた、感じた戦争についての話を子どもたちに聞かせてほしいと思います。 >戦争に関する資料館やニュースに足を運ぶこともできますが、戦争をテーマにした童話『100年見つめてきました』を読んで、親子で感想を伝えあうのも「平和教育」につながります。 >最後に、この本を読んだ書店員さんや、司書さんたちからの感想を伝えます。 >「被害者」「加害者」ではなく、「第三者視点」で描かれる戦争童話は、子どもたちに客観的に戦争について考える力を与えてくれます。
戦争で人が死ぬのは天災ではなくて人災ですね。だから、人間には更なる学習が必要ですね。
(略)
.
|