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原爆の投下の悲惨さを語る者は多い。現実の内容を語れば、聴衆はもらい泣きをする。見ればわかるからである。 一億総玉砕の悲惨さを語る者は少ない。非現実の内容を語っても、聴衆は身震いしない。見てもわからないからである。 トルーマン大統領は、総玉砕よりも原爆を選んだ。彼は、自分の判断の正しさを確信している。 現実肯定主義者には、現実離れした内容は、信じられない。洞察力が無い。何事も、やってみなければわからない、なってみなければわからないのか。喧伝すれば、非戦闘員は ‘人民の盾’として有効に作用するのか。ならば、武力は必要ない。沖縄のひとに尋 … [続きを読む] |
過去 日本語には、時制が無い。だから、過去時制の文章内容も無い。文章が無ければ、その意味もない。辻褄の合った考えにならない。だから、優れた歴史書はできない。過去は、幻か雑念か。精神統一の邪魔になる。忘れるか、水に流すか、しかない。だから、過去は、日本人の脳裏で、疾く風化する。 現在 現実の中の現在は日本人の理解の中にあるが、時制 (非現実) の中の現在はない。’人間は、万事、不平等にできている’はあるが、’人間は、生まれながらにして平等に作られている’はない。時制が無いから、現実肯定主義になる。理想 (非現実) の内容は受け入れられない。 … [続きを読む] |
・>言える事は、憲法は自前であるべきものである。 同感です。自分自身の理想を憲法として高く掲げるべきです。 ・>アメリカの22歳の大学出たばかりのおねーちゃんが書いた憲法が絶対だ!などとよく平気で叫べるものだとは感じる。 でも、即席で出来上がった憲法が天下の悪法というわけでもないでしょう。金科玉条として非常に感謝している日本人が今なお大勢います。 ・>強く。変えるべき所は変えねばならない「敗戦時用の」一時的欠陥暫定憲法なのである。 欠陥個所はどこですか。 日本人のオジサンに憲法草案を依頼したら、70年たっても日の目を見ないでしょうね。 … [続きを読む] |
意思は未来時制の文章内容であり、日本語には時制がない。だから、日本人には意思がない。 自由とは、意思の自由であり、責任とは意思を自由に働かして物事に対処する事である。 日本人には、意思がないから、自由にも責任にも関係がない。我が国は現代社会になれないのか。 自分が相手の意思を求めることもなく、相手から自分が意思を求められることもない。 意思は各人で違っているが、わが国には意思に関する個人主義がない。 意思のある所に方法があるが、無意思の社会であっては、人類に広く影響を及ぼす個人は育たない。 人間に'とらえどころ' がない。'とらえどころ' と … [続きを読む] |
マッカーサが国内に住んでいたころの我が国と、今の日本では国内情勢も違うし、国際情勢も違う。だから、憲法の内容も変えられて然るべきである。前文の哲学は変える必要がないかもしれないが、憲法の各条文は現実対応策であるから、現実が変われば、その対応策も変わって然るべきであろう。 そう考えると、今回は、'憲法という本を正さずして安保法制という末に走り、その場しのぎと偽善に陥る' ものであろう。 目の前の変化には強く囚われるが、その奥にある 'あるべき姿' には無頓着である。軽薄ということか。 相手の意見を勝手に解釈する癖がついていたのでは、国際政治 … [続きを読む] |
・>歴史を調べると、太平洋戦争を始めた人達の中に、日本が勝つと思っていた人はほとんどいなかった。 ・>山本五十六元帥を始め幹部達は半年、長くても1年戦うのが限界だと考えていた。 ・>そして半年や1年の戦争で勝てるとは誰も思っていなかった。 自分さえ善ければの思いで舞い上がる。'有るべき姿' との比較がない。唯我独尊体制である。国粋主義か。 力は正義である。力不足であれば、自ら不義を証明することになるので細心の注意が必要である。 山本七平は「『空気』の研究」のなかで、そのことを指摘している。 「驚いたことに、『文藝春秋』昭和五十年八月号 … [続きを読む] |
・>一昨年末の安倍首相による靖国神社参拝については米政府も「失望」を表明し、アジアのみならずEU諸国やロシアまで批判的な態度表明を行い、日本は完全に国際社会で孤立しました。 ・>首相談話の内容いかんでは、同じことが繰り返されるにちがいありません。それは、談話を出すのが、「ナショナリストとして知られ」、その発言によって「日本帝国の他のアジアの国々への侵略や虐待を否定する歴史修正主義的視点を持っている」ことが海外にまで広く知れ渡っている安倍首相だからです。 人は心でつかむもの。腹の探り合いに熱中していてはいけない。意思は心の中に住ん … [続きを読む] |
・> 「、、、、、丸山は日本の天皇制や軍国主義など第2次世界戦直後、知識人があえて触れなかった部分を優れた洞察力で分析した学者だ。 丸山真男 (1914-1996)は日本の恥部に探りを入れたか。 ・>彼は敗戦後、誰も責任を取らない日本の指導者と社会を痛烈に批判した。戦争のため大勢の人々が死亡し、社会・経済的にも大きな被害があったからだ。 'とかく、この世は無責任' ということか。意思のない日本人には、責任も有りませんからね。 個人の意思を認めない社会には、被害者意識を持つ者はいても、加害者意識 (罪の意識)を持つものはいない。 ・>しかしどの知識 … [続きを読む] |
日本人には意思がない。 意思は未来時制の文章内容で、日本語には時制がない。 だから、日本人には自律意思がない。 優柔不断・意志薄弱に見える。 意思があれば、加害者意識 (罪の意識) も湧いてくる。 意思がなければ、加害者意識は強くない。アニマルのようなものか。 だが、被害者意識だけはある。謝罪がなければ恨みを生ずる。これが、実に恨めしい。 罪の意識がなければ、謝罪もない。謝罪があれば、それは自虐となる。 恨みを避けるために我々は供養をする。 英語には時制がある。 時制のある文章内容は、非現実である。 だから、文章の内容も個人個人で違っている。個 … [続きを読む] |
聖書は神の教え。論語は孔子の教え。新憲法はマッカーサの教え。それぞれ、キリスト教・儒教・九条教の原点となっている。いくら新憲法は自分たちの憲法であるとは言え、原典の内容を書き換えることは、無哲学・能天気の日本人にはできそうにない。与えられる事は喜ぶが、自ら生み出す力に欠けている。だから、文章の内容が現実に合わなくなれば、勝手な解釈をする。すると、違憲は合憲に見えてくる。ノーはイエスに見えてくる。 都合が良い。日本人のご都合主義が発揮される。言語・文章では、行動の歯止めがかからない。日本人が、かねてから恐れていたことが起こってしま … [続きを読む] |
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