【そばけん】 部室 の「地震の被害は?」
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地震の被害は?
【閲覧数】806
2009年08月15日 10:38
 掛川も地震のど真ん中だっただけに心配だったのですが、電話をするのもはばかられていました。

 東名高速道路の復旧が待たれますが、それ以外には大きな被害はなかったですか?

 竹の丸などや報徳者の大講堂などは耐震工事を終えておいて良かったとつくづく思いますね。

書き込み数は2件です。
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Re: 地震の被害は?
【返信元】 地震の被害は?
2009年08月18日 21:05
師匠、お心遣いありがとうございます。

ドルフィンさんに続いて、担当からコメントをさせていただきます。

この4月から水道に異動になったばっかりに大変な目にあってしまいました。

地震で目覚め、施設の様子を確認しようと電話をしましたが、すべてつながらず、
5時30分には家を出て事務所に向かいました。

旧掛川市内で3か所、南部で3か所の計6か所の配水池で緊急遮断弁が閉じると
共に、大井川広域水道の調整池1か所でも緊急遮断弁が閉じてしまい、即座に水を
送れない状況になっていました。

広域水道からの復旧予定の情報がない中、できる限り円滑な給水が可能になるように
準備を進めました。

しかし、断水範囲がかつてないほど広域であったこと、旧掛川だけも3か所の仕切弁
の開閉作業に、人手が足りず、未経験もあってスムーズでなかったと感じました。

空になってしまった水道管に水を充填させるだけでも、4~5時間が必要となり、そ
の後の濁り水の排水等、主な部分が処理できたのが、午前4時ころで、翌日は残った
濁り水の対応のために、5時30分には事務所にいて、個別の対応を進めました。

東海地震がさけばれる中、上下水道組合と掛川市とで応援協定を結んだばかりだった
ので、給水のための段取りは非常にスムーズにいき、インターネットと広報により、
給水作業は順調だったと思いました。

実は5月25日にも地震があり、1個所の緊急遮断弁が閉じた経験がありました。

その後、緊急遮断弁の閉じる条件設定を変更するための調査を行おうとしている矢先の
地震のため、間に合いませんでした。

地殻変動等を伴う大きな地震が来たとしたら、この程度の作業では終わらないと考えて
います。より綿密な復旧作業のマニュアルを作成しておかなければと考えます。

非常食にそば粉を用意しても、水がないと打てないし・・・。
水を送るための仕事をしていたのでは、なおさらダメですよね~。

あ~ 疲れた。
Re: 地震の被害は?
【返信元】 地震の被害は?
2009年08月15日 22:46
師匠、ご心配いただきありがとうございます。
わたくしドルフィンも、地震発生と同時くらいに目が覚めて、体全体で地震の揺れを感じていました。(が、あまり恐怖感は感じませんでした。)

おかげさまで、今回の地震では震度が大きかった割には被害が少なくてすみました。
たぶん、揺れていた時間が短かったからだと思われます。
家屋の被害では、全・半壊はなかったものの、瓦などが落ちた家が600軒以上もありました。(特に南部地域に被害件数が多かったようです)
人的被害は、5人の方が軽傷を負いました。そのほとんどが、上から落ちてきたものにあたってけがをした、というものでした。

掛川でもっとも被害が大きかったのは、水道です。
地震直後から断水し、通水が再開したのが午後3時半。
その間、市内14か所の防災支部へ給水車が出動し、給水活動を行いました。
また、これとは別に、都市公園に設置してある100tの貯水槽からの給水も、5つの公園で行われました。
断水戸数は実に23,500世帯に及びました。
今回これほど水道の被害が大きかったのは、大井川広域水道企業団側の緊急遮断弁が閉じたことにより、掛川市だけでなく、同企業団の給水範囲すべてが断水したことによります。テレビのニュースでは牧之原市の給水の様子が繰り返し放送されていました。

水道の影響が長引いたために、掛川市の災害対策本部が解散したのは午後11時近くなってからでした。(ちなみにお隣の袋井市では午後5時に災害対策本部が解散しています)

わたくしドルフィンも、地震直後から災害対策本部へ詰めて、広報班として、同報無線で給水か所のお知らせなどを放送しておりました。
ドルフィンが解放されたのは、災害対策本部が解散する少し前の午後10時ごろでした。

東海地震は、今回の地震と比べて、何10倍ものエネルギー量だそうで、その時のための備えはしっかりしておかないとけないと、あらためて思いました。

(非常用食料として、蕎麦粉も備蓄しておいた方がいいかも)