仕事で次のような文章に心を奪われた。
「......黒い土の上に桜の花びらが数片落ちていた。と見こう見したが、桜の花は見えない。いずこから舞ってきたのか、いにしえの城兵たちも見たまぼろしか。.....」
ここで、問題の表現「と見こう見したが」出現!
先ず思ったのは「漢字変換の間違え」ではないか?
次に、いったいどこで切るのか?
漠然と前後の文脈から、「あたりを見回すこと」じゃないかと考えてみた。
早速、インターネット辞書で「見こう見した」で検索!
検索数0件なっ無い!(やっぱり漢字変換の間違いか?が脳裏をかすめる)
ひょんなことから「矯(た)めつ眇(すが)めつ」の古い表現であることがヒットした。
しかし、「矯めつ眇めつ」自体がわからない。
さらに辞書を引いて、
『矯めつ』は、狙いを定めてみること
『眇めつ』は、片目を細くして見ること
であることがわかってきた。
慣用句では、『色々な角度からよくよく見ること。』とあった。
しかし、文脈からするともっと繊細な状況が伝わってくる。
...がそれを表現することばが見つからない。
日本語ってなんて繊細で美しいのだろうと思う。
言葉って使わないと無くなってしまうのではないか?それと同時に、繊細さも失っていくのだとしたら悲しいことだ。
一方で、自分の日本語力の低さを痛感!
そうだっ!
本を読もう。それも苦手な谷崎潤一郎氏の文学小説を!