何度か行った京都とまったく違う京都を感じてきました。奈良の東照大寺の円覚さんの話を聞きたくて大勢の人達が集まり声が聞こえないことから、マイクも拡声器もない時代にパントマイムが始まり」この狂言が今の壬生狂言の始まりとされています。面をつけた無言劇です、凄いのはすべての演者がプロではなく、地元の講の人が演じていることです。30の演目があるそうですが、私は3つの演目を鑑賞してきました。1演目約1時間です。ほとんどの演者が自営業の人達だそうです。伝統を守るため必死の努力が伺へます。早朝5時30分に出て帰宅は午後11時50分でした。