「人が宗教に求めるものは二つあると思います。一つは死をどう受け止めるか。もう一つは生きる意味とは何かです。」(2016.06.18 日経新聞の夕刊の記事に出ていた、浄土宗本願寺派の門主;大谷光淳の言)。
かなりの人はそのようなテーマにはあまり関心を持つことなく、日々あくせくと動き回って一生を過ごしているように私には思えますが、その疑問に関心をもっている人に宗教が答えてくれることはいいことです。
しかしその二つに関心があっても宗教に頼る人もさほど多くはないのではないでしょうか。そのテーマに関心を持っても、「そうだ! お寺に行こう」という発想も出てこない場合が多いでしょう。
また神・天国・因果応報・死後の世界の存在などを信じることが出来ない人達も沢山いるでしょう。私もその一人です。
門主は記事の中でさらに「都会で育った人はお寺と縁のない日常を暮らしてきたため、自分の家の宗旨さえおぼつかないケースがあります。だからといって 宗教を頭から否定しているわけでもないでしょう。葬儀に僧侶が立ち会うことに何らかの意味がある。そう思う人がいるからこそ《お坊さん便》は生まれ、 利用される筈です。ただ葬儀に僧侶の立ち会いを頼みたくても、それ以上の深い関係を持ちたくないという心理的な綾があるのかもしれません。」 ………………… お坊さん便 とは https://www.amazon.co.jp/%E3%81%8A%E5%9D%8A%E3%81%9…B018HVTRXO
………………… 大谷光淳門主は気づいているのかいないのか、言及していませんが、日本の仏教の僧侶はキリスト教の神父に較べてターミナル・ケアーに参画することが少なすぎるように思います。
諏訪中央病院の鎌田實と神宮寺住職;高橋卓志の共著「生き方のコツ、死に方の選択」には門主の挙げた二つのテーマが、答えがあるのかどうかは兎も角、議論の首題になっています。
日本仏教の僧侶は墓地の経営や葬儀などの死後のことはほどほどにして、病院やホスピス・刑務所・看取りの行われようとしている家庭等にもっと出入りして死期に近い人々と付き合う方が多くの魂を救えるように私は思います。
三菱京都病院(京都市西京区)では仏教系の緩和ケア施設から僧侶の派遣を受けているそうですね。
仏教の為にも、これがもっと拡大した方がいいでしょうね。
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