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2016年12月24日(土) 

   以前にも書きましたが、我が家の年賀状は、ネットで無料素材を探し、家内が出すものは通信面に選んだ画像と我が住所を入れて私がプリントします。文章と宛名面は手書きです。家内もパソコンとプリンターは持っているのですが、億劫なようです。

 

  私のは、画像を入れた後その下に昨年相手から貰った賀状を見ながら考えた相手毎の文章を打ち込んでプリントします。相手により文章が長くなったり短くなったりするので、旨く収まるように行数設定を調整したり、場合に依っては画像の大きさも調整してバランスよく収まるようにします。

 

   この時、困るのはもう長いこと会ってもいないのに、決まり文句を印刷したり、そこに手書きで「お元気ですか」位を書き添えてくる人へのものです。現在どのような生活をしているのか全く判らず、書くべきことが見つからない。決まり文句だけで返す手もありますが、私の拘りが許さない。1枚書くのに非常に時間がかかります。いいアイデアが出てこず、その日は打ち切り…となることもよくあります。

 

   現状を書いてくれ…と書いたこともありますが、翌年の賀状にも変化なし。

このような人には今回から出すのを止めました。もう会うこともないのに、まだ死んじゃあおらんようだ…というだけでは出す意味がない。

 

   来年から賀状は出しません…と書いた賀状も受けとることもあります。また賀状は来なかったがこちらから出した賀状に対して手書きの寒中見舞いを賀状の代わりに寄越す人もいます。

 

   これらの人にはもう出さないことにしました。 …で今年は10数枚減しました。出さなかった人から来た場合、返事をするかどうかは内容によって決めます。
 

   年末に、喪中故賀状は出さないが自分としては戴きたい…との連絡も入ります。喜んで出しています、喪に服す…なんて止めておけばいいのに…と思いつつ。

 

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閲覧数957 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2016/12/24 17:45
公開範囲外部公開
コメント(2)
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  • 2016/12/25 21:39
    shinobiさん
    新年を迎えるのに喪に服しているから「おめでとう」が言えないというのは不思議に思っています。
    地区の新年会も1軒でも不幸があると中止になっていました。
    ところが「改めてよい年にしよう」ということになって昨年から再開しました。
    実は高齢者が多い部落なのでヘタをするとずっと中止になってしまう恐れがありました。
    次項有
  • 2016/12/25 23:06
    鉛筆コッチさん
    > shinobiさん

    現在の日本の社会において、親族が亡くなったから…と云って喪に服す義務はありません。

    送別会・結婚式・忘年会への参加、 旅行、神社への参拝など喪中には控えるべき…とされている事項ですが、悲しくて何をする気も起こらない人達を除いて、もうほとんど気にされていません。期間も不明です。年賀状についてのみに残っている風習です。

    喪に服することを過去にあった風習として一部の人が守って行くことは結構ですが、一般人は無視していいと思っています。喪に服したから奥ゆかしい…とか立派だ…とか考えることは止めた方が社会にプラスになる…と思います。

    忌引休暇だってせいぜい4~5日しかありませんしね。

    .
    次項有
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