今回の旅行の中で“非業の死を遂げた柴田勝家”の亡霊伝説に興味を惹かれました。 最初“なぜ柴田神社があるの?”と疑問を抱きましたが、理由を聞くと“なるほど”と思います。 旧暦の4月24日は越前北庄城主「柴田勝家」が自刃した命日です。 この日を“柴田忌”と言ったそうです。 江戸時代には既にその城はなかったのですが、新しい福井城が旧城の近くに築かれていました。 毎年この柴田忌になると騎馬武者の行列が出現して、旧城の本丸に向かって行進するのだそうです。 しかしこれらの武者には一様に首がありません。 この行列を見た者は悶絶し血を吐いて死ぬそうです。 これに興味を抱いた絵師がこっそり隠れてその様子を見て自宅に帰って、その絵を描き終えたあと、悶絶して息絶えました。 縁起でもないとその絵を燃やそうとするとその火が飛び火して大火になると言う始末、この怪奇に関して福井藩主松平春獄は「柴田忌には暮れ六つ以降は外出ままならぬ!」という御触れを出したそうです。 そして1890年(明治23年)に北庄城本丸の地に「柴田神社」を建立し勝家の霊を祀ったところ、以降その行列は現れなくなったそうです。 恐ろしい伝説ですが、それが明治時代まで続いたという事を聞くと何か背筋が寒くなります。 |