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2013年11月26日(火) 
徳川家康公ゆかりの地を巡るスタンプラリーが始まっていますが、その中に天竜区二俣町の「清龍寺」があります。
信長に謀反の嫌疑をかけられ二俣城で無念の切腹をした家康の長男「松平信康」の菩提寺となっている寺です。



スタンプラリーのパンフレットには「信康を供養するための霊廟がある」という説明でしたが、私は墓所とばかり思っていました。
そこで天竜観光協会から地元のボランティアガイドの方に確認をして頂きました。



そしてその回答が届きましたので、改めて清龍寺を訪れました。
信康公は二俣城で切腹、そしてその首は「首実検=検視」のために信長に送られた。
胴体は当時「庵」のあった現清龍寺の裏山で荼毘に付されこの地に埋葬された。
という事で清龍寺の霊廟は「墓」でもあることが分かりました。

余談として、信康公の介錯は家康から服部半蔵正成が指名されたのですが、半蔵は涙で刀を振り下ろすことが出来ず遠州森町の天方城主の天方氏が介錯をし、その後天方氏は出家してしまいます。

家康が江戸に移封された時、服部半蔵は信康公の遺髪を持って江戸に行き、まもなく出家して「西念」を名乗ります。
半蔵は江戸城の半蔵門近くに信康公の遺髪を埋め、その霊を弔いました。



現在の西念寺には信康公の墓の隣に服部半蔵のお墓があります。
蛇足ですが江戸時代最初の掛川城主「松平定勝=家康の弟」の長女「松尾姫」は服部半蔵正成の嫡男「服部半蔵正就」に嫁がせています。
次女「阿姫(くまひめ)」は家康の養女にし、山内一豊の2代目「忠義公」に嫁がせています。

結果的に掛川城とは意外な関連が有ります。

閲覧数887 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2013/11/26 18:02
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