銭取りも小豆も餅も中学校区の区内だったので、子供のころはその周辺を、虫取りや子供の遊び場で走り回りました。
「犀が崖」のある地名の布橋は隣り町であったので、ここもよく遊びに使いました。その碑のある古戦場跡地では毎年、遠州大念仏が集合して披露されます。
ドラマで懐かしい地名がたくさん出てきます。
三方原の戦いのあとのエピソードですが・・・・
戦いに敗れた家康は数人の部下を連れて敗走途中に茶店を見つけて「小豆餅」を喰っていた。 (地名:小豆餅) そこに武田軍の追っ手が迫ってきたので、急いで逃げて行った。
ところが店の老婆は銭をもらってないので追いかけた。 2キロほどのところで追いついて、家康を捕まえて銭を払わせた。 (地名:銭取り」
三方原の戦いは元亀三年12月22日の午後4時頃から始まって、6時頃に徳川軍は敗退を始めています。
①そんな暗い中で茶店が開いていたのか? ②戦いが繰り広げられている最中に店を開店させるか? ③老婆が2キロも馬で敗走する家康を走って追いかけて行く事が出来るか? ④武田の追っ手はどうした? ④家康たちが戦いに行くのに金を持って行ったのか?
そのあとの「布橋」もそうです。 「犀が崖」に布の橋を架けて、そこを通った武田軍が崖下に落ちた。 ①最初からそんな大きな布を用意してあったとは思えない。 ②暗い中とは言え、布を橋と見間違えるはずがない。
昔の人たちはその話を信じて伝えてきたのでしょうか?
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