■バックナンバー
■RSSフィード
RSS 1.0 RSS 2.0 Atom 1.0
■このブログのURL
https://e-jan.kakegawa-net.jp/blog/blog.php?key=611847
2012年12月12日(水) 
大東区域の海岸沿いはかつて陸軍の射場(大砲なんかの試射を行うところ)だったんだそうです。

駿河局のおじいさんが陸軍にいたころ、演習でここを訪れたことがあるという話を聞いて、以来ずっと気になっていたのですが、先日現地を訪れてみました。

 
それぞれの建物がどんな機能を持っていたのかは分かりませんでしたが、いろいろな遺構が残っていることに驚きました。

ものの本によると、戦後は米軍に接収されそうになったものの、陳情によりなんとか免れたとか。

今回は見逃した遺構もあるようなので、近いうちにもう一度現地に行ってみたいと思います。

閲覧数658 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2012/12/12 21:41
公開範囲外部公開
コメント(2)
時系列表示返信表示日付順
  • 2012/12/14 09:36
    shinobiさん
    先日「猫の手の会」で掛川ミニツアーの話があった時、この場所も話題に上がりました。

    他に高天神城の大手門の東側の斜面にも、大きな素掘りトンネルがあります。
    昭和18年に陸軍省が武器、弾薬庫として掘ったものです。
    高さは1.5mほどですが長さは48mもあります。

    当然現在は何も残ってはいませんので、言われなければわかりません。
    次項有
  • 2012/12/18 22:39
    鉛筆駿河守さん
    >shinobiさん

    原谷と桜木の間の山の中にもトンネルの中に飛行機の製造工場があったらしいです。終戦間際のことでほとんど生産されなかったようですが。

    日本中いたるところに穴を掘っていたと言うことでしょうか。もう何か月か終戦するのが遅かったら、その穴に籠って、硫黄島や沖縄のような戦いを強いられていたのかと、と思うとぞっとしますね。
    次項有
  • 次項有コメントを送信
    閉じる
    名前 E-Mail
    URL:
■プロフィール
駿河守さん
[一言]
ぼちぼち更新してまいります。
■この日はどんな日
ほかの[ 12月12日 ]のブログは、
■最近のファイル
■最近のコメント
■最近の書き込み