>現代ビジネス >【日本人は意外と「日本のこと」を知らない…多くの人がじつは見えていなかった「論点の正体」】 >現代新書編集部の意見 >・1日 >いま日本はどんな国なのか、私たちはどんな時代を生きているのか。 >日本という国や日本人の謎や難題に迫る新書『日本の死角』が7刷とヒット中、普段本を読まない人も「意外と知らなかった日本の論点・視点」を知るべく、読みはじめている。 >日本という謎の国 >日本とは、いまだ謎に満ちた国である。 >国のかたちや制度が劇的に変わることはなく旧態依然のままで、問題も山積している。
そうですね。何事もお変わりなきことが良いことですね。
>では、いま何が必要なのか。 >それは、さまざまな謎や論点を正しく捉え、私たちが当たり前だと思っている強固な常識や固定観念をときほぐし、問いなおすことである。
そうですね。我々は思考停止ではいられませんね。
>「なぜ」や「そもそも」からこの国や時代を見ていくことで、事態をより深く理解することができるだろう。 >そもそも日本は「集団主義」なのか?
日本人は集団主義でないということになっていますね。しかし、わが国に集団は存在します。
>なぜ日本はここまで「衰退」してしまったのか?
個人の英知を活用しないからでしょう。出る杭は打たれる。
>なぜ若者は「結婚」しなくなったのか?
独身者の生活に不便が少なくなったからではないですか。
>なぜ日本人は「移動」しなくなったのか?
お変わりのないことが何よりなことだから。馴れ合いには時間がかかります。また一からやり直し。
>なぜ日本の学校から「いじめ」がなくならないのか?
日本人は ‘・・・らしい’ を追い求めているからでしょう。
>なぜ日本で「死後離婚」と「夫婦別墓」が増えたのか?
序列社会の仕来り (家の制度) を死後も引きずることに意味がないから。
>そもそも「差別」とは何か?
差別とは個人を考える代わりに類型を考えることです。
>「日本の死角」とも言える論点 >なんとなく「こうなのではないか」という理由が頭に浮かぶかもしれない。 >日本人が集団主義というのは、ルース・ベネディクト『菊と刀』をはじめ数々の日本人論で書かれていることではないか──。 >コロナ禍のせいで、日本人は移動しなくなったのだ──。 >しかし、じつは、科学は「日本人=集団主義」を否定しているし、日本人はコロナ禍以前から移動しなくなっている。 >〈科学的な方法できちんと比較をしてみると、日本人は、「世界でいちばん個人主義的」という定評のあるアメリカ人と比べても、特に集団主義的というわけではないのである。
そうですね。されど別な意味で日本人は集団主義ですね。わが国では個人が集団の中に埋没しています。
>科学的な比較研究の結果がこう出ている以上、「日本人は集団主義」という「常識」は、間違いだったと考えざるをえない〉(『日本の死角』より) >〈『移動できる者』と『できない者』の二極化が進んでいる。 >かならずしも地方から出る必要がなくなるなかで、都会に向かう者は学歴や資産、あるいは自分自身に対するある種無謀な自信を持った特殊な者に限られているのである。
そうですね。それは青雲の志のある者に限られますね。
>問題は、そのせいで地方社会の風通しが悪くなっていることである。 >学歴に優れ、資産を持つ『社会的な強者』だけが抜けていく地方になお留まる人びとには、これまで以上に地元の人間関係やしきたりに従順であることが求められる。
馴れ合いの習慣ですね。‘なあなあ主義’ とは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。
>結果として、地方では『地域カースト』とでも呼べるような上下関係が目立つようになっている。
日本文化には形があって内容が無い。だから形式はどこまでも保たれます。内容を議論しても改革に繋がらない。
>移動の機会の減少は、それまでの人間関係を変え、ちがう自分になる可能性を奪う。 >その結果、親の地位や子どものころからの関係がより重視される社会がつくられているのである〉(『日本の死角』より)
そうですね。形式主義に基づく保守主義ですね。変える理由というものが意味を持たない社会です。
>私たちは、間違った常識や先入観のもとで問題を思考し、答えを導き出してしまうことがある。 >そうだとしたら、時に答えを出すよりも、私たちが見えなかった・見てこなかった「日本の死角」とも言える論点や問いを掘り下げ、再考することこそが重要である。
そうですね。我々には洞察力が必要ですね。
(略)
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