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2010年03月19日(金) 
本日の書は「観」習作、無印
観世音菩薩の観
見、視、診、観の観です
「みる」と言う言葉だけでも随分沢山ありますね。このテーマにそって、になるかは分かりませんが今日は書道や感性のお話…ちょっとした私感のお話をさせて頂こうと思います



私の作品を語る上で欠かすことが出来ないものに「飛白体」と言うのがあります。書道の技法ですね
辞書からの抜粋では
「刷毛筆を用いた書法で、かすれが多く、装飾的である。飛白の「飛」は筆勢の飛動を、「白」は点画のかすれを意味し…その飛白文字は天女の衣が大空に翻るようで美しい」
とあります
創始は後漢の蔡邕…三国志が好きな方なら私よりもずっと詳しいかもしれませんね、日本で有名な方は三筆の一人、空海
書の評としては艶やかに飛翔する官能的な書体…と言う事になるのでしょうが現在の美術的地位はあまり高くありません
「道具的な限界もあり技巧的な表現に止まりがち、調が下がりおもしろさの範囲を出るものではない
綺麗にまとめることはできるが感情の豊かさに欠ける」
となかなかに手厳しいものです

それに対しての私の私感、になるかは微妙かもしれませんが空海の名前も出た事ですし三筆のお話を少し…
平安三筆は空海、橘逸勢、嵯峨天皇の三名でそれぞれの

空海の書…私個人の感想ですよ?
人間は超えてしまっているんでしょうね…が一番
ゆえに多くの事を語ること自体が意味のない方とも言えるかもしれません
鋭く軽やか、視覚に入ると同時に澄み切った刃物で撫で切りにされたような感動、感情が無いと言うより俗世の垢の匂いが一切しない美しさ
これは飛白体に要求される美しさとも通じる美的感性ではないかと思います

続いて橘逸勢
私が今書いてるものとは真逆の所に居る人ですが私はこの人が大好きです
この人の書は一言では語りきれませんが…
書から見てとれるものは豪胆、骨太、アウトローな人というイメージです。感情溢れすぎ、豪快…本当にこの人公卿の血筋だったんでしょうか…と言った感じです
調べてみるとご本人様も激しい人生を送られた方の様で亡くなられた後も「八所御霊」…怨霊ですか?凄いですね
今はネットがありますから気になった方は調べてみるとよいかもしれませんね…字を見ると「ああ、この人ならわかるかもしれない」と言う気分に浸れるかもしれません

話が少しそれましたが感情に対するとらえ方で言うと空海はダンスや音楽で言うところの古典やクラシック表現的な作品を多く残したかた。橘逸勢はロックやモダン、野生的で感情的なものをたくさん残した方…そんな風に思いました
音楽でクラシックとモダンがどちらが優れているか比べる事が意味がないように書道と言う美術表現にも当てはまるものではないでしょうか
芸術表現において感情は大事な要素ではありますが感情表現の大小だけで美しさを語るのは寂しい事の様な気もいたします

…すこし重い話になりましたので少し軽めに最後の嵯峨天皇のお話を…

嵯峨天皇の書を一言で評するとこの人の書は「カワイイ」ですね
空海や橘逸勢の書を育ちの良い素直な感性で取り入れ伸びやかに表現しているさまは「不良に憧れて真似してみたりしたおぼっちゃま」的な可愛らしさがある様な気がします
もともとお育ちがよく教養も高いのでしょう、解釈や咀嚼の感性がとてもハイセンスな方です…なのに気取って無くて可愛い感じがするのは流石の源融のお父上と言う感じがします
蛇足のお話ですがこの源融、「光の君」こと光源氏のモデルとも…その辺りは源氏物語が好きな方の方がお詳しいでしょうね
私個人としてはこの光源氏=源融と嵯峨天皇の純真無垢さは通じる気もしますし本当かどうかは別としても支持したい気はしますね

ながながなりましたが今日はこの辺りで…
この様に長いお話は暫く無いと思いますね。暫くは旧作アップ位のローな形でやらせていただきたいと思います


閲覧数313 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2010/03/19 23:34
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