昨日の日経ニュースによれば宝永地震の震源域は四国沖から遠州灘沖にとどまり、駿河湾ははずれている模様…と産総研と新潟大が発表。
もしそれが本当なら従来から云われていた東海地震の周期が100~150年から250年に伸びるそうであり、次回は2100年頃となる。
http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958…2E2;at=ALL
菅元首相が浜岡原発を停止させた理由の30年以内に東海地震が起こる確率87%は間違いだったことになる。
私が大阪から静岡に移った34年前から、東海地震に注意…と大阪の人たちから云われてきており、家を建てた時から地震保険に入っている。しかし阪神や東日本に先を越されてしまった。
地震が来るのがまだ90年程先になるなら地震保険は解約した方がお得かな。
今行動を起こすと早とちりちなる可能性もあるだろうから続報を期待して待つとしよう。
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東日本大震災までほ日本最大級とされた「宝永地震」(1707年、推定マグニチュード=M=8・6)の震源域は仮説とほ異なるとする研究を16日、産業技術総合研究所と新潟大のチームがまとめた。
これまで震源域は駿河湾から四国沖に至る範囲とされてきたが、駿河湾ほ含まれないとの分析結果を示した。
18日、新潟市で聞かれた歴史地震研究会で発表した。駿河湾で繰り返ししてきた「東海地震」の間隔の解釈が変われば、発生確率の算出に影響しそうだ。
産総研の藤原治主任研究員らは静岡県牧之原市沿岸部の古地図を調べた。宝永地震の前後に当たる1699年と1743年の古地図でほ、海岸線や川・砂丘などの位置が変わっていなかった。
研究チームほ宝永地震の震源域が駿河湾に及んでいれば海岸線が変わったように描くほすと考え、震源域は駿河湾西方の遠州灘までにとどまると分析した。
古地図(こ地震に伴う地形の変化が記されていることがあり、1854年の安政東海地震では0.9メートル隆超し、海岸線が海側に移動した。
政府はこれまで、慶長地震(1605年)、宝永地震、安政東海地震と続いた東海地震の間隔を100~150年程度と推定、1854年が最後にあたり、駿河湾に大地震を鮭こすだけのひすみがたまっていると説明してきた。
これらを根拠に政府の地震調査委鼻会ほ東海地震が今後30年以内に発生する確率を87%欄と算出したが、宝永地震で駿河湾が震源となっていなければ250年近い間隔があったことになる。
藤原主任研究員は「今後、津波堆積物の掘削調査などで古地図が物語る当時の様子を確かめたい」としている。