安部さんの
頑張っている姿には
感動しました。
ただ、ただ
感じ入って
目頭が熱くなりました!
河北新報 2012年6月12日付 朝刊 【夢は「いぐなる農業」】 東松島市赤井の農地約1.7ヘクタールにビニールハウス3棟が立つ。ハウス内に、青々としたトマトの苗が広がる。 農業阿部聡さん(34)が2011年11月、仲間3人と設立した農業生産法人の拠点だ。 法人名は「イグナルファーム」。野菜を買う人、会社に関わる人、地域の農業、みんながいぐなる(良くなる)ように――と願いを込めた。阿部さんは代表を務める。 被災地で復旧を目指す生産組織を支援するモデル事業を活用した。土地は新たに購入し、いしのまき農協(石巻市)が国などの補助金で建設した設備を割安で借りた。 5月に引き渡しを受け、苗を植えた。来年の初出荷に向けて気の抜けない作業が続いているが、充実した日々だ。 「一年前は、ここまでたどり着けるとは想像ができなかった」 妻ら犠牲に 生まれ育った東松島市大曲地区は東日本大震災で大津波に襲われた。妻と子ども3人、祖母を亡くした。トマトやキュウリを栽培したビニールハウスなど生活の糧も失った。 嘆いても、願っても、家庭は取り戻せない。動いていなければ押しつぶされそうだった。「仕事だけでも取り返す。必ず、何とかしてやる」。その一心で走り出した。 震災をきっかけに農業を諦める生産者が相次いだ。「若手がまとまらないと、1次産業が衰退してしまう」と市内でイチゴを生産する佐藤雄則さん(41)に声を掛けた。 2人は震災前「いつか一緒に農業生産法人をつくろう」と夢を語り合った仲だ。農地が大きな被害を免れた佐藤さんは、家族を失いながら進もうとする阿部さんの姿に胸を打たれた。「復興につながる仕事をやろう」と決心した。 2人でつてをたどり、赤井の農地を見つけた。直談判した土地の所有者は「若い人が農業をやるなら協力する」と快諾。隣接する別の地主との交渉も仲介してくれた。 新たな仲間も加わる。ともに市内で園芸農業を営む星名大地さん(33)と武田真吾さん(36)。震災後は一時、農業から離れた。星名さんは「いつか農業を再開したかった。誘ってくれて、心底うれしかった」と話す。 膨らむ構想 「家族もいなくなり、何のために頑張っているのか」。阿部さんは生産再開までに何度も立ち止まりそうになった。その度に「子どもたちに情けない姿を見せたくない」と自分を奮い立たせた。 法人は、沿岸部の農地でイチゴやトマトの観光農園を開く計画を温めている。「収穫仕立ての味を楽しんでもらいたい」「バリアフリーにして障害者が働ける場にしよう」と構想は膨らむ。 「被災地に雇用を生み、地元を離れた人が戻ってくるきっかけをつくりたい」と阿部さんは言う。道のりが平たんではないのは分かっている。しかし、一度は消えかけた震災前の夢が一つ一つ実現する手応えをいま、感じている。 〈読者投稿〉 昨年の東日本大震災により、甚大の被害を受けた宮城県東松島市。この地で復興に向けて頑張っている農業青年たちがいる。私と同じ宮城県農業青少年クラブでともに切磋琢磨しながら農業経営を学んだ仲間、阿部聡君も、その一人だ。 「懐かしい。元気にやってるんだ」 5年ぶりに、新聞で掲載されている顔写真を見たとき、そう思った。 しかし、記事の内容を読んでいくうちに心が痛んだ。阿部君は、奥さんと子供たち3人を大津波で亡くしている。私にも旦那と子供たちが3人いる。「もし、自分が同じ境遇に陥ってしまったら」と考えたら目頭が熱くなった。 私の実家である仙台市若林区も津波被害に遭った。両親は幸い無事だった。水田は塩水につかったため、いまだに稲の作付けができない。それでも、阿部君のように、自分を奮い立たせたて農業をしている姿を見たら負けてはいられない。私も前を向いて進んでいくしかない。 佐々木由紀子さん 31歳 宮城県 × × 誤字脱字写し間違いあります。 (安倍晋三首相・阿部晋三さんなら良かった――何の意味もありません) |