天正6年(1578年)織田信長の次男信雄(のぶかつ)は伊賀攻略拠点として丸山城を築きました。 これに反発して伊賀の住民(忍者たち)は丸山城に攻撃をかけました。 これがおそらく今度の映画「忍びの国」の舞台の一つになるのではないでしょうか?
これが第一次天正伊賀の乱であり、織田信雄は伊賀から敗退します。 その2年後の天正9年(1581年)織田信長自ら4万5千の大軍で伊賀を攻略、約2週間で伊賀全土が平定されました。 この戦で最後に伊賀衆が立て籠もったのが「柏原城」(別名滝野城)です。 この城で1600人余りの忍者たちが抵抗しましたが多勢に無勢で多数の死傷者が出たため、無条件降伏し筒井順慶(つついじゅんけい)に明け渡しました。 伊賀忍者たちは全国に散って行きますが本能寺の変の後にはまた故郷に舞い戻ってくるものが多かったそうです。
伊賀盆地は太古の昔には琵琶湖の湖底で肥沃な土地だったようです。 (ちなみに現在も琵琶湖は動いており、いずれ日本海とつながってしまうらしいです)
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