2021年12月04日(土) 
①テストについて

昔、学校のテストを全て白紙で出し続けた男の子がいた

今では立派に働いて世界で活躍している 

テストなんて所詮その人の全ては測れないから

励ましのエールとセットで『(具体的に)〇〇するといいよ』って
言われると嬉しいよね
 
分かったように簡単に人に頑張れって、
言いっぱなしにはできないし
到底そんな風に無責任には言えないから

学校を卒業すると、とたんに学びを止める大人が大勢いる
それでもやってこれたのは、先人たちのおかげで
支えてもらえる世の中になったから
 
最後まで頑張ろう!と誰かが言った

でも、ここで言う最後ってなんだろう? 
それって、先生たちにとっての最後じゃね?

僕らが無事に卒業することが最大の目的なんじゃね?

でも、受験がゴールではないよね?
学びはこれからもずっと続くよね? 


生涯学習都市宣言をしている一市民として考えみたい 
そう思った


②新入生説明会について

こうした説明会は果たして新入生が本当に知りたいことに応えるものなのだろうか? 

教師の皆さまは6年生の感想は聞かない方が身のためだと思いますよ^^

もし学校側がなにかの権威付けをやりたいなら別ですが、
自分たちの言いたいことだけを一方的に言うだけだとか、
そんなことをやる為だけなら今の時代メールで良いのでは?
と思った

お互い時間は大事ですから


③英検IBAについて

本気でグローバル化を語るなら、その人がグローバルでなければ
何の説得力もないことは自明ですね 

翻訳機能がスマホですらある時代に、英語検定にどれだけの
価値があるのか疑問もあります

それなら、ロシア語やアラビア語をそうした文化と共に学ぶほうが、
アメリカとは異なる価値を知ることになるだろうし、
これからの多様性社会の時代を生きる彼らには役に立つと
思うのです


④花壇ボランティア活動について

ボランティア団体の皆さまお疲れ様でした 

ところで、学校でそんな日にも朝の会をやる必要性が分からないし、
そもそもボランティアの皆さんに対して失礼にあたるのでは?と感じます

そこまでして、一緒にやる意味はなんだったのでしょうか?
中途半端な感じがします

もし、生徒の皆さんが
『僕たちは朝の会があるので、じゃあこれで』
というのであれば尊重しますが

大人の都合で、出されたり引込ませたりってことがあるのであればやめたほうがいいと思います

生徒さんは意味が分からないですから

おそらく生徒の皆さんには、
地域の方たちがまだ作業が残っているのに、
途中でさようならと言う違和感が残ったのではないでしょうか?

私は、みんなで最後まで一緒にやる方が達成感も共有できますし、
よっぽど為になると思うのですが・・・

今回のボランティア活動の主体はボランティア団体の皆さまですが、
学校側の責任者はどなただったのでしょうか?
生徒たちが朝の会でその後はいられないとして、
責任者の方がどのように対応されていたのか、気になりました
写真撮ってあるからどなたかはいらっしゃったと思いますが、
まさか最後にお茶配っておしまいではないですよね?


⑤テストの振り返りについて

テストの振り返りでやるべきことは、
単に答えがあっていた・間違ってたから覚えなおそうというような
確認ではないと思います

結果を管理することは誰にでもできます

そんなことよりも、まずは自分がどんなことに興味や関心を寄せていたのか、
どんなことには関心がもてないのか?ということに気付くことのほうが重要だからです

ここが抜けていると、目的地のない航海となってしまうからです

そして、もし教師の皆さまが人間が間違いからしか学べないと
思っているとしたら生徒たちにとっては不幸であると思うのです

なぜなら人間は必ず間違うからです
そこに学びを求められることは、最早苦痛でしかありません 

私はこの教師の方の経験に基づくご判断は尊重しますが、
その一方で、既にそうした前提は古くて間違ったものだとも
思うからです
 
子供たち自身が心からワクワクすることを、
その子なりのやり方で学ぶほうが数倍学びが速いし、
深いと思うのです 

大日本報徳社の鷲山社長の『熱中する子供は豆博士になる』
というお話に大いに首肯するところです 

大人がじゃまさえしなければ、子供たちは自ら学ぶのです

おそらくですが、こうしたことが忘れ去られている根本の原因は
戦後の教育基本法で定められた学校教育の目的が、
『官僚や企業で働く』人材育成に偏って解釈されている
ことにあるのではないかと思うのです 
戦後の復興や高度成長時の考え方に基づいて、
教育の目的を定義し続けることは、既に時代遅れであると思います 

将来の夢は、ユーチューバーやインフルエンサーになりたいという
子供たち
(私は大いに賛成します)を誰が教育できるのでしょうか?
 おそらく、子供たちのこうした問いに対する答えは学校の
教育現場にはすっぽりと抜けているのではないだろうか 
この記事からは、そんなことを考えざるを得ませんでした


⑥かけがわ教育の日について

『かけがわ教育の日』の動画なども拝見しましたが、
やはり同じ思いしかありませんでした 

地域で働く方をお招きすることは大変意義深いと思いましたが、
将来生徒たちが働くときに、果たしてそのような仕事が残っているのでしょうか?

グローバル化をいうのであれば、市内で労働する人の多くは外国人になるでしょう 
日本人よりも安価で懸命に働くからです 
企業の経営者は間違いなくそうした労働力を選択します 
民間は熾烈な生き残り競争ですから 

その中で、日本人に残された仕事は極めて限られることでしょう 
だから、生徒たちには今のうちから自分の頭で将来を考えることを
教えないといけないと思うのです
もう以前のようなレールはありませんから 

古代ギリシャでは民主制が確立しており、政治、哲学や芸術など
市民がやるべきことはクリエイティブなことに集中されていました 
だから、ペルシャもローマ帝国もギリシャを完全には
破壊・支配できなかったのです 
自国にはない価値をギリシャ市民が持っていることを知っていたからです
しかし、その後の封建社会の中では農奴が必要であった領主には
こうした個人の価値は危険視され、語られることはなくなります

その間にイスラム圏で蓄えられたこうした知見が逆輸入の形で
再びヨーロッパに持ち込まれ、ルネサンスで再び脚光を浴びる
までは長らくの間忘れ去られていたのです

同じことが今の日本にも当てはまります 
小泉改革で削られた研究開発や教育関係の予算は民主党政権の下、
有名な蓮舫さんの『一番でないといけないのですか?』演説で幕を閉じました

このことはスマップの歌でいう『オンリーワン』の価値とは次元が違う話です

『教育は人生の準備をする為ではなく、人生そのもの』という、
アメリカ哲学者ジョン・デューイの言葉を考えることができればその意味は分かるはずです

日本人もリベラルアーツ教育の意義を本気で考えないと、
このままでは優秀な人材は海外に出ますし、
国内は永遠の田舎を決め込むしかないと思います 

それはそれで悪くはないと思いますが、国としては人口減少と
人材の減少が重なることで、
ますます衰退していくことになるのでしょう 

そうだとすれば果たしてどんな仕事が国内に残されているのでしょうか?
教育関係の方でこうした危機感を共有できる方が、
いらっしゃたとしたら、
一緒にこうした現状を変えていきたいと思います 

しかし、おそらくは教育を変えるより早いスピードで
世の中が変わっていくので、
変えざると得なくなってから変えるのでは手遅れになるのでしょう これも歴史を学ぶと自明のことではありますが 

最後に厳しいことを言うようで烏滸がましいのは百も承知ではありますが、
学校教育関係者の皆さまがあまりにも自己満足の世界に
留まっておられるようですと、
掛川市の未来は暗いと言わざるを得ません 

なぜ、どの記事も自らを肯定・賞賛し、
生徒にばかり反省を求める内容なのでしょうか?
私たち市民から見ると、教師の皆さまが
『自分たちは絶対に正しいことをやっている』という
共通の理解でことが進んでいるとしか見えないのです

閲覧数356 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2021/12/04 05:12
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