天守の姿が思いのほか早く見えてきました。 周囲のみなさんの要望もあってか、大人数で足場の解体を行っています。
ところが「壁の色がおかしい」という問い合わせやクレームが増えてきているそうです。
掛川城の外壁は復元当初も土佐漆喰を採用していたので、今回もそうしたようです。 土佐漆喰は台風銀座とも呼ばれている過酷な気象条件に耐えられるように開発された壁です。 特徴として、塗った当初は茶色で3~6ヶ月を経て紫外線により白色に変化して行きます。
手法としてはわらを長期間掛けて発酵させ、それを石灰に混ぜ込んでいます。 ちょうど良い発酵の時期は口に含んで舌で図っているとか・・・・ もうそのような職人さんが少なくなっているようで、掛川城のように大量の土佐漆喰を生産できる会社は1つしかないそうです。
もしかして30年後の修復の時は通常の大和漆喰になるかも知れないと言うこを聞きました。 と言うことは、現在のクリーム色の天守は貴重な存在(時期)になるかも知れません。
土佐漆喰の歴史は意外と新しくて、江戸時代後期からのようです。 と言う事は・・・ 高知城の外壁は土佐漆喰ではないと言うことになりますね!
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