「どうする家康」のときに、行ったことがあります。たしかにきれいになっていました。
古墳も興味深く見ました。たしか、前にちょっとさんという方が、紹介されていたような気がします。
昨日の五明の茶畑の帰りに、戸塚忠春殿の墓参りをしてきました。 戸塚五郎太夫忠春は西郷の局の父親に当り、更に言えば二代将軍秀忠公のおじいさんに当たる方です。 その方は現在の掛川市上西郷の方で、妻「おてい」の間に於愛さんをもうけます。 (西郷の局のモデルとなった方)
以前伺った時はこんなに寂れていました。
おそらく大河ドラマ「どうする家康」がスタートするに当たってリニューアルしたと思われます。
その戸塚忠春氏が戦死した後に、養父となって育てたのが「服部平太夫」と言われています。
この観音寺のそすぐ裏に平塚山があります。 頂上には平塚山古墳があります。 ここで狼煙を挙げると200人ほどの忍びが集まったと伝えられています。 なるほど、ここだったら掛川城が良く見渡せたでしょう。
ちなみに「於国」さんは五郎太夫氏の妹の子で、その後上西郷の屋敷に住んでいました。 於国さんが江戸時代になって経緯を書いた書物「於国文書」によって、於愛さん(西郷の局)の話が世間に知れ渡りました。 |