まーちゃさん
新聞にもあまり目を通さなかったので、この記事は嬉しいです。読ませていただきながらもう目から落ちてます。
この場面をテレビで見て入れたならと思いましたが、
この記事で想像を膨らませてます。
対戦相手もやりにくかったと思います。
神村学園の山本監督にも敬意を表したい気持です。
最後の言葉「当たり前に野球が出来ることへの感謝」
恵まれすぎている今だが私達にも当てはまる言葉です。
本当に有難う御座いました。
(この記事を載せてくださり)
試合終了のサイレンが鳴り響く中、一礼を終えた神村学園選手はグラブと帽子をグランドに置き両手を差し出した。 一瞬戸惑いの表情を浮かべた石巻工選手が応じる、固く交わした握手は両者の隔たりを消し去った。 勝った神村学園の選手達の両手には未曾有の被害を乗り越えて甲子園に来た石巻工に対する敬意が込められていた。 対戦が決まって以来、山本常夫監督は繰り返した。 「自然の怖さや尊さ、命あることへの感謝・・・震災から学ばなければならない大切なことを選手たちにどう伝えたらいいのか」 山本監督は阪神淡路大震災。当時、兵庫県芦屋市に住んでいた自宅は全滅に近い被害を受けた。 約6500人の犠牲者を出した17年前の記憶が鮮明な分、東日本被災地への思いは強かった。 ヘドロを取り除く事から甲子園への一歩を踏み出した石巻工。 「その苦難を思えば、不自由なく野球ができたわれわれとは雲泥の差」。だからこそ 「相手の2倍、3倍の元気を出す義務がある」と、選手をグランドに送り出した。 石巻工の一投一打に球場全体が沸いた一戦。 負けじと白球を追い続けた神村学園の走攻守には、 監督が伝えたかった 「当たり前に野球ができることへの感謝」が込められていた。 (中日新聞より) |