宮本慎也著 意識力 はじめに――意識を積み重ね、無意識を求める 誰でも一度は、「そういう意識がないから仕事ができないんだ」「もっと意識を高く持って仕事をしろ」と、職場で言われた経験があると思う。 2013年の引退会見で「現役生活で誇れることは何か」と聞かれた私は「好きで始めた野球が、プロになった瞬間仕事に変った。よく野球を楽しむというけど、一回も楽しんだことはなかった。19年間、仕事として真剣に向き合ってこられたのが、誇れる部分だと思う」と答えていた。 娯楽であるはずの野球は本来、楽しいものだ。チームの勝利、一本のヒットは、どれもうれしいことに違いない。 ところが、飛び抜けた能力がなかった私がプロ野球で生き残っていくためには、プレーを楽しんでいる余裕などなかった。本当に心から野球を楽しめるのは、四番やエースといった相手を見下ろすことができる能力のある選手だけではないだろうか? 試合を決める場面で座席が回れば、お立ち台でヒーローインタビューを受ける場面を想像して、楽しみに感じる選手もいるかもしれない。私にはそんな余裕はまったくなかった。守っている時は、次にどんな打球が来て、どんな動きをするのか、何通りもイメージしていた。打席の中ではどんな投球が来て、どう対応すればいいのかを考え続けていた。守備や打撃に対しての対策を練り、準備をしていくことで精いっぱいだったからだ。 そんな私が仕事としての野球に取り組むなかで心がけていたのは、「意識」を高く持ち続けることだった。練習でのちょっとした意識の違いがプレーを替える。もっと言えば、日常生活のなかでの意識が、試合中のプレーに影響することだってある。 その一方で「無意識」を求めている自分がいた。シーズンオフの自主トレ期間にまず始めるのは、壁に投げて跳ね返ってくるボールを捕る基本練習だった。「壁当て」と呼ばれる練習で、身体に捕球する体勢を思い出させることから始めた。プレーの動きを身体に覚え込ませることで、無意識の状態でも身体が動くようになればと考えていたからだ。 ボールを捕る瞬間、打つ瞬間は無意識にならざるを得ない。その無意識の瞬間を決めるのは当然、それまでの意識の積み重ねである。意識と準備は似ている。すべての無意識の瞬間を思うようにプレーすることができれば、プレーを楽しむことができたかもしれない。19年間の現役生活を振り返ると、守備では無意識で動くことができていたかもしれないが、打撃ではすべてを思うようにプレーすることはできなかったと思っている。 本書は意識を高く持つことで、無意識でプレーすることを目指した野球人生の記録である。守備や打撃につてはもちろん、日本代表やチームのキャプテンとして何を意識してきたのかを記したつもりだ。本書を読み終えた後、野球への見方が少しでも変わってくれればうれしく思う。 2014年2月 宮本慎也 × × 誤字脱字写し間違いあります。 意識力()内の数字は自分の覚えの番号です本に関係ありません。 |