いわき民報 2007年7月5日 夕刊 【「あーちゃん号」を全国に】 《プルタブ集め車いすを寄贈》両親、娘の遺志引き継ぐ 1台の車いすが6月5日、いわきから沖縄の福祉施設へ寄贈された。贈り主は、平成13年6月12日、16歳で亡くなった久之浜町の木村麻美さん。麻美さんは生前、施設へ寄贈する車いすの資金作りとして、プルタブ集めに励んでいた。麻美さんの遺志は両親の善隆(51)美奈子(49)さんが引き継ぎ、ごみ袋2袋分のプルタブから始まった活動は、全国へ広がろうとしている。(柿沼美佳記者) スポーツ万能で、いつも笑顔が絶えない麻美さんが体の不調を訴えたのは磐城一高2年の5月、剣道の高体連地区予選を終えた直後。どんなにつらくとも弱音を吐かないのに、足が痛いと学校で泣いていた。 病院では肉離れといわれたが、次第に微熱などの症状も訴えて入院。医師が善隆、美奈子さんの2人に告げたのは、肝臓がんの一種で、余命は1ヵ月ということだった。 麻美さんへは、「急性肝炎の一種。安静にしていれば治る」としか言えず、苦痛に顔をゆがめる娘の体をさすり続けた。しかし、医師の言葉より早く、入院から15日後、麻美さんは亡くなった。 葬儀後、剣道部の友人が、車いすを買うために、プルタブ集めていた麻美さんの姿を教えてくれた。ロッカーからは、プルタブがぎっしり詰まったごみ袋が出てきた。 2人は集めていることは知っていても、何に使うかまでは聞いていなかった。「入学して1年ちょっとでそれだけの量を集めたことに驚いた。何もいえなかった」と話す。麻美さんの優しい心に触れ、涙があふれた。「あのプルタブを見たら、無駄にはできないと思った」。2人は親として娘の遺志を引き継ぎ、4年かけて1台を購入。2台目の購入はそれからわずか1年後で、愛称にちなんで「あーちゃん号」と名付け、2台とも地元久之浜町の障がい者小規模授産施設「岬学園共働作業所かもめパン工房」に寄贈した。 アルミ製の2号は、スチール製の1号の倍の値段。4分の1の期間で、2倍の量のプルタブを集められるぐらい、善意の輪は広がった。 沖縄へ贈られたのは「あーちゃん3号」。寄贈先の身体障害者通所授産施設「大浜工房」の理事長宮良順一さん(沖縄県石垣市)とかもめパン工房で出会ったのが縁となった。 沖縄は麻美さんが楽しみにしていた修学旅行の行き先。2人は「夢をかなえることができたかなと思う。妹のように大切にします、という施設の皆さんの言葉がうれしかった」と振り返る。 最近ではペットボトルの普及で、プルタブの収集も難しくなった。しかし。娘の思いを尊重する心に変わりはない。プルタブは日々寄せられ、市内はもとより、遠くは愛知県からも送られている。 2人は、「大事に使ってくれるというところに、これからも寄贈し続けていきたい」と話す。いつの日か、市内だけでなく、全国都道府県に「あーちゃん号」が行き渡る日がくることを願いながら。 ☆〈読者投稿〉 高校生の彼女は、一生懸命に部活や勉強にと励んでいる傍ら、車いすを施設に寄贈するためひそかにプルタブ集めていた。そんな素晴らしい意志を持った高校生の彼女を、若くして命を絶えさせてしまうこの世の理不尽さに激しい憤りを覚え、新聞記事を目にしたときは悲しさで胸がしめつけられた。 しかし、わが子が亡くなったことにより、彼女の素晴らしい意志があったことを知り得た両親は、その遺志を引き継いだ。彼女の両親はさらにプルタブを集め、そのプルタブから姿を変えた車いすを障がい者施設へ寄贈した。その車いすの愛称は、娘の名前から「あーちゃん号」と名づけられた。 うれしくて涙があふれ出た。私もプルタブを集め始めた。それなりの量になったら届けようと思う。わが子の遺志を引き継いだ素晴らしい彼女の両親の元へ。次は「あーちゃん」何号になるのだろうか。楽しみだ。 中澤耕二さん 52歳 福島県 × × 誤字脱字写し間違いあります。 |