祖母に比べて曾祖母は日蓮宗一すじでした。曾祖母は昭和37年
8月私の中学1年生まで生きておりました。
昨日の星祭のお加持「祖母の言い方」は御先祖様も一緒に頂いていたようでした。と言うのはまたまた覚えている夢を夜中の2時過ぎから朝の7時20分 ぐらいの間に見ましたが、実家の裏がきれいに敷石を引いた集会場になっていて、「松浦家の実際のお墓の周りも敷石が敷き詰められております。」 色々な人達が踊っていました。私は、何か着物の紬の生地の端切れを色違いで 数枚頂きました。そして祖母は浴衣を着て老人クラブの人たちと一緒に 踊りに行ってくると私に言ったところで、目が覚めました。私が実家に 住んでいた頃は、お正月になると祖母と一緒に初詣に行ったり、15日の 菩提寺の星祭も欠かさず参拝して、お寺でで頂いた弟の交通安全のお札や 家内安全のお札に向かって、御先祖様へのお題目の後、必ずお参りをされておりました。だから昨日の星祭が嬉しかったのでしょうと思いました。でも老人クラブではご詠歌の会に入っていてお念仏も唱えておりました。また祖母の実家の 隣がキリスト教の教会でしたので、幼稚園ぐらいから日曜日には私を連れて行き 聖書や賛美歌のお勉強をさせて頂きました。だから、祖母があの世に旅立つ時は 偶然キリスト系の老人病院で、頭に洗礼を受けたようなヘアバンドを飾り 天使のような袖の白衣がとても似合っておりました。自分が日蓮宗の信者でも 五大宗教のどんな宗教でも受け入れられた、懐の深さが祖母にはありましたので 得な性格で良かったと今でも思っております。 |