スポーツ選手による違法行為が問題になっています。毎日マスコミが持てはやしています。何故それがそんなに大きいニュースになるのか、私には判りません。
スポーツ選手による事件は覚醒剤のみならず、賭博、八百長、集団レイプ、わいせつ行為、ドーピングなど頻繁に起こっています。若いころの記憶でも運動に熱心な人達にはあまり勉強しないのが多く、授業中も居眠りばかりしていました.
データを取ったわけではありませんが、一般人に比べて犯罪を犯す比率が高いような印象を持っています。有名人故に余計に目につくだけかも知れません。勿論、健康な精神と健康な肉体の両方をもちあわせているアスリートも沢山知ってはいますが。
例に出して悪いですが、ダーイッシュ(非イスラム教徒からなるIS国過激集団)も肉体的には皆健康なのだが、精神的には不健康な不満分子集団だろうと思っています。
健全な精神は健全な肉体に宿るのが望ましい(なかなかそうは行かないが)…と聞かされていたので、そのようなものと思い込んでいました。勿論両者を兼ね備えた人達も結構いますが。
「健全な精神は健全な肉体に宿る」なる文に対してネットにはいろいろ記載されていますね。 ① 本来は「大欲を抱かず、健康な身体に健全な精神が宿るように望むべきだ」
② もともとは古代ローマの詩人が作品の中で「健全な肉体の中に健全な精神が宿ってほしいものだ(、でも実際は違くね?)」と述べたのが起源とされる。
③ 「ユウェナリス( Juvenalis 60-136 )は若者が体を鍛えるだけで勉強しないことを嘆き、『健全な肉体には健全な精神も!』(肉体だけ鍛えてもダメ!)といった」
④ ユウェナリスは、金持ちになること、地位を得ること、才能をのぞむこと、栄光、長生き、美貌、いずれも願うべきでない、これらはいずれ身の破滅をもたらす から。もし願うとしたら「心身ともに健康であること」ぐらいにしておきなさい。その程度を願うのなら不幸になることもない。大きなことを願うべきでない。 ということを詩にしたとのことです。
同じ源から引用されているようです。しかしそれぞれ若干ニュアンスは異なりますね。しかし肉体を鍛えれば精神も健全になる…との解釈はあまり支持されていないようです。私は肉体は健康ではありませんが、精神はまあ健全だろう…と自分では思っています。 無意味で不愉快な記事はあまり頻繁に出さないでほしいですね。もっと大事な報道するべきことが他にも沢山あるだろうに。
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