【悪口としてではなく、自分への戒めとして】 組とか班と呼ばれる自治区の最小単位、どんなお付き合いですか? 僕は就職1年目に実家を出て、現在の地に住むようになりました。僕の住むところは、元々は田んぼが広がっていた地域で、戦後の高度経済成長直前に田んぼを埋め立てて宅地に。 だから我が家を含め、周囲は昭和30年台以降に移り住んで来た人ばかり。 そしてその当時の現役世代が今は高齢者と呼ばれるようになってます。 ある意味でアメリカの開拓時代と一緒、自分たちで地域のコミュニティー文化をはじめとする諸々を築き上げて来た皆さんが今もお元気ですね。 それ自体は大変喜ばしい事であり、僕が移り住み始めた頃には頼もしくも見えました。 がしかし、年が過ぎて成熟した地域となった今、少しばかり厄介なご老人が目につくようになったというのが偽らざるところ。 勿論、いくら時間が過ぎようと、年月を過ごそうとも変えて(変わって)はいけないものが有るのも確かですよ。 しかし、しかし、時は昭和から平成に変わり、今上天皇も皇太子にその地位を譲ろうかとする時代、我々庶民?の生活習慣も、そして仕事や地域、そしてそもそも家族の在り方さえ変化しようとしている時代。 周囲の思い、意見等々を鑑みず、自らの価値観や手法をゴリ押しして来るのは、ただただ「老害」としか言いようがありません。 本来、歳を重ねれば重ねるほどに、周囲に気を遣うべきだと思うのは僕だけではありません。 組(班)の集まりで無遠慮に言いたい事を言い、我が物顔でいる先輩年代を見るにつけ、ああはなりたくないとの思いが募ります。 本人は理路整然と正論を言っているつもりだろうが、その主張の殆どは、今という時代を認めようとしない自己防衛のための単なる屁理屈だと断言したい。 言いたい事を言い、満足げに帰る後ろ姿を、残った若者は苦々しく且つ呆れ顔で見送っている事実を知らないのは、ある意味で滑稽であり可哀想でもあります。 俺はああはなりたく無い、その思いが強まるばかりだ。 |