財布を気にせずに
かば焼きを
味わえる日が
待ち遠しいですね~!
今日は弟が
浜名湖産の
うなぎのかば焼きを届けてくれました。
久しぶりに
美味しい
うなぎにありつけました(^_^)v
「うなぎの語りかけること 週の初めに考える」中日新聞社説 昨日の講演会「生命を基本に置く社会を考える」とちょっと主旨が似ているような気がして私の興味のある?事が書かれていましたので貼り付けます。 この夏はウナギがよく話題に上りました。値上がりのほか、絶滅しては大変という話まで。でもウナギのみならず、資源とはやはり有限なのです。 ウナギを資源として見ると、近年の様子はこんなふうです。 ウナギの子、シラスの漁獲量は五十年前とくらべ、二十分の一にまで減りました。海や川の環境変化もありますが、第一の理由はとり過ぎでしょう。 二〇〇七年、欧州では、ヨーロッパウナギが絶滅の恐れあり、として、ワシントン条約の国際取引の制限対象になりました。欧州でもウナギは食べますが、かなりの部分が中国などに輸出され、それが養殖され、またかば焼きとなって日本に来ていた。 つまり、少々大げさに言えば、ウナギが大好きな日本人は、世界のウナギを“食べ尽くそう”としていたのです。 しかし、よくしたもので、朗報もありました。 三年前でした。日本の研究所が世界で初めてウナギの完全養殖に成功したのです。 完全養殖とは、人工的にふ化させたウナギを親として、その子を育てて新たな親とするライフサイクルの確立を指します。 理屈のうえでは、枯渇の心配のなくなることを意味しますが、量を確保し採算ベースにのせるにはまだ長い道のりがあります。 夏のカンカン照りの日、三重県・志摩半島にでかけました。 その海辺に完全養殖を成し遂げた研究所、独立行政法人・水産総合研究センター増養殖研究所があります。 文明の後には砂漠が 日本のウナギ研究は戦前から始まっていて、沖縄、台湾沖で産卵場探査は何度も行われました。しかしそれを西マリアナ海嶺(かいれい)付近に見つけたのはつい最近のことで、繁殖率のよいオス、よいメスを作り、その子を育てる技術も多年の試行錯誤の結果だったのです。 研究所の一室で、黒色のたるのふたを開けると、腹をよく膨らませたメスがいました。卵をいっぱい抱えているのです。 別の部屋は、暗くしてありました。深い海と同じにしてあるのです。ガラス器の水中にはふ化二日目、体長二ミリほどの赤ちゃん、別の器には柳の葉に似たレプトセファルス=写真、同研究所提供。 光を嫌い下を向いている。これが育ってシラスになるのです。 さて、ウナギから離れてもっと大きな資源の話をしましょう。 それは燃料です。人類が火を使い始めて以来、最も消費してきたのは燃料としての木であり、近代には石炭、石油の化石燃料です。そしてウランが加わった。 人類と森に関しては、こんな言葉があります。 …文明の前に森林があり、文明の後に砂漠が残る。 食物の煮炊き、灯火、パン、製鉄、造船…。文明が高度になるほど森は消えてゆきました。 こんな話もあります。 中世、十字軍戦争が始まると、キリスト教軍はイスラム教軍に勝ち続けました。キリスト教軍を送り出した欧州は武器や武具を作る十分な鉄を用意できた。対するイスラム教軍は鉄が不十分でした。欧州より先に文明が発達していた分だけ森を失っていたのです。死者とともに埋葬した鉄や金属を求め、墓まで掘り起こしたといいます。 木がなくなり、人類は石炭を掘り出します。地中深く、その仕事に危険があろうが、文明はエネルギーを求めてやみません。 次に石油時代へ。掘りやすく、運びやすく、使いやすい。そして石油のない国は原子力へ。 消費から再生の道へ エネルギー探しでは、今は再生可能エネルギーへの道も開けた。これは人類史の新しい、輝かしい局面かもしれません。何しろ文明の後に森は残るのですから。 ウナギの研究所で、ある“秘密”を聞きました。研究室のウナギの赤ちゃんは、何を食べて無事に育つか、ということです。 それは、サメの卵と大豆タンパク、それにオキアミ。これらをミキサーにかけ、ペースト状にしたもの(研究所はポタージュと言っていました)。色は濃いピンク。少しなめてみました。タラコよりうんと生臭く、そして多年の研究の結晶の味。 消費から再生の文明へ。こじつけるつもりはありませんが、消えかけたウナギはそう言っているようでもありました。 |