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2014年05月26日(月) 
第一章 気づくこと
 言い訳を叱責される

2004年のアテネ五輪、08年の北京五輪で日本代表チームのキャプテンを務めていたことから、私にはリーダーとしての資質があったと思われている方もいるだろう。口やかましいイメージがあったせいか、40歳を越えたあたりからは「球界のご意見番」としてメディアに意見を求められることも多かったが、とてもではないが、チームを引っ張っていくようなタイプの選手ではなかった。
アマチュア時代にはよく怒鳴られていた。
自分のなかで「これは変わらなければいけないな」と気づくことができたのは、同志社大学でのある経験からだった。
一年生の時のことだ。秋のリーグ戦の期間中に、雨が降っていた。とても練習できるようなグランド状態ではない。私と三年生の先輩二人が屋根のある場所で固まって話をしていた。一方で、四年生の先輩が雨のなか、グランドを走っていた。それを見た技術顧問のおじいちゃんが「あいつは最後のシーズンで一生懸命やっているのに、何をお前らはぺちゃぺちゃしゃべっているんだ」と私を含めた三人に平手打ちを一回ずつしたのだ。
実際には、普段はあまり練習しない先輩が、天邪鬼な性格だったのか、雨が降ったからといって、急に練習をしていただけだった。とはいえ、技術顧問の指示は絶対だ。私は監督に反省文を提出することになってしまった。
私が提出した反省文は、そんなつもりは毛頭なかったが、言い訳ばかりととられたようだった。それを読んだ当時の野口真一監督に、呼び出された。
「お前の文章は、言い訳ばかりだ。男だったら、男らしく失敗を認めろ。失敗を認めるから、反省して次に進める。ここで言い訳がうまくいって逃れることができたら、また同じことをするだろう」
こう言われた時に、ハッとしたのである。
ミスの原因を突き止めて、次への対策を見つけることだ反省だ。似ているようでいて、言い訳と反省は違う。ミスを認めるからこそ、反省して次に進める。
 それまでは、失敗した時にミスを認めるのは、恥ずかしいことだと思っていた。なんとか言い逃れをしようと思っていた。しかし、それでは反省したことにはならない。
 失敗は誰でもするものだ。進んで失敗をする人間はいない。それを誰かや何かのせいにして逃げていたら、また同じ失敗を繰り返してしまう。
 言い訳をするということは、他人に責任を転嫁することで自分のプライドを守ろうとしているだけである。野口監督も「このままでは本人のためにならない」と思って厳しく接してくれたのだと思う。失敗を認めることが、成長への第一歩につながる。それからは、そう考えられるようになった。
 時代の流れだろうか。最近では、教え子や部下に優しく接する指導者や上司も多いという。しかし、ときには厳しく接することも必要だと思っている。教え子や部下が間違った方向に進みそうであれば、道を踏み誤らないように叱ったほうがよい。叱責が新たな気づきとなることも多いからだ。気づくことができるかどうかは、結局は当の本人にかかってくる。もちろん、自分で気づくことができなければいけないのだが、そのきっかけを他者から与えられることもある。
 指導者の立場になった時に、教え子に気づきを与えられるかどうかは、自らが気づいた経験があるかどうかにかかっているともいえる。人は、自分が経験したことのないことを他人に伝えるのは難しいからだ。
「言い訳は進歩の敵である」
 この言葉をプロ野球に入って野村監督の口から聞いたとき、大学時代の野口監督とのやり取りを思い出していた。
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 誤字脱字写し間違いあります。

閲覧数580 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/05/26 11:56
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